Happy 50th birthday, the Toyota Foundation!

1974年に設立されたトヨタ財団が50周年という節目を迎えた。 めでたいことである。 モラトリアムで大学院に在籍しつつ、夜はバーテンダー見習いで小銭を稼ぎつつ毎夜お客さんと飲みつつ、日がな一日プラプラしていた私を、いわば現実の社会に連れ出してくれたのがトヨタ財団なわけであった。 ときに27歳。 まあ、使えない文系院生くずれの私を雇ってくれる昼職など他になかったであろう。 プログラムオフィサー、何それ?からのスタートであった。 正直これも腰掛け程度で入ったのだが、結局在籍したの丸13年(うち2年はブラジル行きのため休職)。 半世紀という長い歴史のうち四分の一くらいがっつり関わってたのかと思うと感慨深い。 何だかんだで居心地が良かったことを認めよう。 そして出てみて初めて分かる、この財団のユルさ寛大さ鷹揚さ(笑) 本は実質買い放題、結構な裁量で国内海外飛び回っていろんな分野の人にお話聞きまくり。 相当に自由にやらせてもらって有り難いことであった。 久々に職員や助成対象者の皆さんにも会えて同窓会気分。 親会社が日本を代表する超巨大企業ってこともあって、上の方は天下りの悪弊とかもあってちょっと勘弁いただきたいところなのだけど、まあそこは風に柳が吉。 次の50年もエッジの立ちまくった助成活動を!

Diary

2024年10月25日

闇の一日

なかなか衝撃的な映画を観た。 映画館ではない。年齢制限はあるものの、普通にYouTubeで公開されているのだ。 映画「闇の一日」 勝ち組負け組事件というものがある。 2013年の渡伯前、初めてその事件の存在そのものを知った。 が、この件について詳しく深掘りすることもなくブラジルでの二年間は過ぎた。 おお、普通に当事者が話しとるぞ。 これは何気に結構な歴史的証言なのではないだろうか。 オッペンハイマーのThe Act of Killingを思い起こした。 が、装飾もされてない分、よりシンプルな凄みを感じる。

BrazilDiaryMovie

2024年10月23日

オリエント工業

8月某日。衝撃のニュースが業界を駆け巡った。 ラブドールメーカーオリエント工業が事業終了 1977年創業の老舗 これは、、、行っとかなあかんやろ。 いつもの悪友Cとともに勇躍駆け付けたのであった。 初めて間近で見たり触ったりしたけど、これは凄い。精巧さが半端ないのである。 性、はもちろんのこと、医療分野への転用可能性も大いに広がる。 いずれもエッセンシャルな分野で、かつ他に並ぶもののない唯一無二性。 本邦が世界に誇るべき、文字通りのアートであろう。 アートの語源であるアルス(ars, ラテン語)は、治療行為も含めたより広範な人間の技術、技法全般を意味したのだ。 が、その孤高のアーティスト気質ゆえに、社長さんは廃業を決意したのだとか。 唐突な決断だったようで、熱心に商品を説明してくれた気のいい営業さんは、この先の身の振り方に悩んでいるようだった。 社長さん、そこはちょっと社員さんのことも考えたろうや(笑) ご自身がそれを望むかどうかは別として、現代アートとの接続とか、ソーシャルセクターとの協働とか、いろいろできそうだけどなあ。 蓄積された膨大なナリッジはこのまま埋もれて消えていってしまうのだろうか。 残念や! 【11/18追記】 もう閉鎖されたのだろうか、と何の気なしに覗いてみたら、事業再開してた。 さすがや。つよい(笑)

Diary

2024年9月7日

チロが逝く

先週のこと。 前職時代の元同僚二人と飲んだ。 うちW氏は、前職時代にそこで働きながら、某私大の特任教授をやっていた。 もう一人のA氏は6年前に前職を退職後、某地方国立大のテニュア教員になるも、家の都合でこの3月で退職、東京に戻ってきた。 かくいう私自身も一応大学の教員である。 何気にインテリな職場であることよT財団。 (まあ私の場合は肩書きは大学教員とはいえ、職務の内容上、いわゆる研究らしきことはほぼしてないが) 二人それぞれ、前に会ったのは少なくともコロナ禍よりさらに前のことなので、実に5年以上ぶりだ。 元同僚であるからして、当時は毎日のように顔を合わせてたわけで、それがこんなに間を空けて改めて再会するというのは不思議な感覚である。 店はここ。 料理も日本酒も美味しかった。80年続く老舗であるそうな。 で。 前職時代、年長の彼らと飲んだ後に毎度立ち寄っていたのが、 W氏が学生時代から世話になっていたという四谷のチロなるスナックで、 当然この日も行くものと覚悟を決めていたのだが、その場で調べたところつい2ヵ月前に57年の歴史に終止符を打って閉店したという。 https://twitter.com/satoruishido/status/1796547658204799181 何年も足を運んでおらず、不義理を働いてたのでエラそうなこと言えた立場ではないのだが、にしても残念である。 このお店、通りに面した正門ではなく、建物と建物の隙間の小路を縫うように入った脇の通用口らしき扉から入店する。入口からして難易度高い(笑) 代名詞は、数百本のキープボトルが納められているという壁一面のボトルロッカーである。 この中に、何百本目かのW氏署名入りのボトルもあったはずだ。 職場があった新宿での飲み終わりにタクシーでさくっと、よく通ったものであった。 ママさん、ご挨拶もできず失礼しましたが、長きにわたってお疲れさまでした。 玉袋氏、沁みるねえ。

Diary

2024年8月26日

家族のレシピ

考えさせられる。 何だかんだで想いを伝え合って逝けるのは幸せなことよな。

DiaryMovie

2024年7月28日

あんのこと

最近また腰痛が再発して、整体に通っている。QOLだだ下がりである。 まともにお稽古できる状態ではないので、合気道も休会しているくらいだ。 加えて、何なんでしょう。単純に集中力の低下?睡眠欲の増進?? 要するに、二時間身じろぎもせずにじっとしているのがいろんな意味で大変なので、最近映画館に足を運ぶ機会がとみに減った。 そんな中でも「これは」と思う映画は見るようにしてるのだが、今回たまたま目にした戸田真琴さんのレビューにも触発され、文字通り重い腰を上げて行ってきたのである。 で、どうせ見るならと、入江悠監督と主演の河合優実さんの舞台挨拶の回に狙いを定めて行くところが私のミーハーなところである(笑) 期待を裏切らない作品であった。 内容については多くの人が語っているのでそちらを参照。 あんを演じる河合優実さんは、素晴らしい演技だったと思う。 (今ブレーク中の女優さんらしいのだが、世に疎いので初めて知った…) あんを救済しつつ、一方で裏の顔を持っていた刑事の多々羅(佐藤二朗)も、良いか悪いかは別にして(いや、もちろん良くはないんだが)、人間ってそういうとこあるよね、と却ってリアリティを感じる。 多々羅のスクープを虎視眈々と狙いつつ、一方で親交を深める雑誌記者・桐野(稲垣吾郎)も、人間臭くてよい。 あんの母親すら、一貫して胸糞の悪い描かれ方ではあるものの、世の中にはこういう毒親もいるんだろうな、と妙に説得力がある。 わざわざ行く意味のあった傑作、ということを前提として、その上で敢えて言いたい。 私が唯一腑に落ちなかったのは、あんが身を寄せるシェルターの隣人、三隅紗良についてだ。 自らの幼い息子を、何のフォローもないままやたら身勝手な形であんに預けて長くほったらかしにしておきながら、最後に取り戻した際には「この子が無事だったのはあんのおかげ」と、あんを悼み、聖人君子みたいな顔して息子を慈しみながら物語は幕を閉じる。 うーん。子供なんてどうでもいい!というスタンスの毒親であるなら、あのエンディングにはなり得ない気がするし、かといって一時的な気の迷いで突発的に預けてしまったのだとしたら、あんな長期にわたって(あんが彼の性格や好みを完全に把握するほど)放置することはないだろうし。 このキャラクターだけはちょっとご都合主義的というか、造形が雑というか、「そんなやつおるか??!!」感が拭えないのであった。我が人生経験と人間理解の浅さゆえであろうか。 あるいは、どこかに私の見落としている伏線が張られていたのだろうか。 諸賢のご教示を乞いたいところである。

DiaryMovie

2024年6月28日

蝶々の心臓

InstagramTwitterで長らくフォローしている石川祐樹さんによるフォトエッセイである。 写真、いいなあと思ってよく眺めていたのである。 一時は中判のフィルム、おれも買おうかと本気で考えたくらいだ(笑) 長女である真優さんが心臓に先天性の疾患を抱えて生まれてきたということは、ネット記事とかで前から知っていて、この本もずっと読みたいと思っていた。 が、10年前の本ですでに絶版だし、中古はプレミアが付いてやたら高い。 新宿区の図書館にも入ってないのだけど、いよいよ読みたくなって他区から取り寄せてもらった次第だ。 写真もいいし文章も泣ける。母親の強さ、そして真優さんの強さにも心打たれる。 手元に置いて繰り返し開きたくなる本だ。 当時は家族して生か死か、という極限の状況を過ごしていたわけだから、もう二度と繰り返したくないだろうし、実際切羽詰まってたんだろうけど、それでもかけがえのない瞬間の欠片がこれでもかというくらいに切り取られているのだよ。 そして、これらの濃密な時間から十数年を経た現在、弟くんともども、元気に十代を謳歌してるようで心から安堵する。 まあ、ここまで強烈に圧縮されたものかどうかは別として、親として子の健やかな成長を願う気持ちは、もちろんおれも等しく持っているわけで。自分も同じ状況におかれたら、こういうことを思うんだろうなということが、そのまんま言語化されている気がする。そしてセンチメンタルな父であるがゆえに、母の強さがいっそう際立つ(笑) 奇しくも同じ家族構成だけど、これから娘や息子が、もっともっと生意気になって反抗的になっておれは邪険に扱われ必要とされなくなっていくにつれ、何にも代えがたい今のこんな感情もいつか薄れていってしまうのだろうか。 そうなったらやっぱ寂しいぞ!

BookDiary

2024年6月25日

おれに聞くの?

山下澄人さんによる『おれに聞くの?』 見開き1ページで泣いた。 ネット上で無料公開されていることに免じて許してほしい。 Q. 「愛するということ」ってどういう事・ふるまいだと思いますか?エーリッヒ・フロムの同名の名著を読んで様々な人の考えを知りたくなりました。 A. 前にテレビのドキュメンタリーで養子を育てる夫婦を見ました。二人は子どもが出来なかったから親が放棄した女の子を引き取り育てる。まったく裕福ではなかった。思春期になるとその子は自分の出自を知り二人にひどい事をいって激しく反抗した。お母さんとお父さんはしかしまったく怒らなかった。うんうんというだけで子が怒り飽きるまで黙って聞いて、終わったらご飯を作った。わたしは見ていて途中何度も腹が立った。何だこのがきは。しかし二人は一度も決して怒らなかった。その子は十代で妊娠した。その時も二人は問い詰めたりせず「どうする?」と聞いた。うむとその子はいった。お母さんはその子のお腹をさすり「背中が痛い」というと背中をさすり毎日食事を作った。その子が子どもをうんだ。二人はうまれた子を愛おしそうに変わるがわる抱っこした。最後その子が子を抱きながら「お母さんみたいにこの子にしてあげたい」といった。わたしは「愛」という言葉を見ると聞くといつもそれを思い出します。

BookDiary

2024年6月2日

戦災・災害のデジタルアーカイヴ

渡邉英徳さんのレクチャーを聴いた(オンラインだけど)。 これまでよくTwitter(X)で「ニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正」なる写真が流れてきてて、へーっと思いつつ、その都度「いいね」押しつつ眺めていたので、今回まとまったお話聴けるのは有り難い機会であった。 クリエイティヴ・アーカイヴの実践。 この分野無知だったけど、いきなり現段階での極致まで連れてかれちゃったみたいな趣きがあるな。 2011年から現在も続くヒロシマ・アーカイブ。 過去の広島の街と今の広島の街が地続きになる。 ストックされていた資料が、時空間に合流する、フローに変わる。 個別のデータが個別に存在しているのではなく、多元的なデータが一望できることで、一つ一つの葉っぱが木や森のなかに位置付けられること。 そしてその制作のプロセス自体が、記憶のコミュニティ形成につながると。 本プロジェクトには広島女学院の教員・生徒ががっつり関わっている。 地元から協力があることで、俄然スムーズに物事が進むんだと。 分野は全然違うけど、前職で国内各地のプロジェクトに関わらせてもらった経験から言うと、そりゃそうだろうなと思う。 で、女学院と言えば、我らが修道とは、それぞれ広島市内で私立の女子校、男子校ということで何だかんだ交流があったのだ。一緒に遊んだあの子たちは元気であろうか。懐かしいぞ。 このようなことを四半世紀ぶりに思い起こさせてしまうのも、アーカイブがもたらす「記憶のコミュニティ」の効用であろうか(笑) その前には長崎も。 2016年はこちら。東日本大震災から5年後。 「忘れない」震災犠牲者の行動記録 そして2022年、ロシアのウクライナ侵攻を受けて。 Satellite Images Map of Ukraine: The 2nd Year ヒロシマではストックからフローへの流れだったのが、 日々大量のデータが更新され続けていく現在、フローからストックへ。 一緒にやっているのは古橋大地さんではないか。前職時代の助成対象者でお世話になったのである。さすがや。 チェルニヒウ州ヤヒドネ村の小学校。 子供たち含め300人の住民が1ヵ月にわたって監禁されていたという。胸が痛い。 ウクライナ「戦災」「心の傷」をデジタルアーカイブに……地下に子供監禁、「ママ愛しています」も3D化 東大教授が現地と連携 日本ではほぼ忘れ去られてるけど、とんでもない被害を出したトルコ・シリア地震。 Satellite Images Map of Turkey-Syria Earthquake いずれもとんでもない業績や。 で、これまではクリエイターとして、渡邉さんが自身の技術と馬力でプログラムをゴリゴリ書きながら作ってきたことが、今やノーコードで、少なくとも技術的には誰にでも実現可能になった。 ここ数年、プラットフォームの進化が半端ない。 てことでそれを東大の1、 2年生対象の授業の課題として投げかけてみたところ…… 大学生が挑戦。GISを使って過去の災害データを可視化・継承する 優秀すぎる。 かねてよりレクチャーを行っていたという読売新聞の記者さんも。 令和6年能登半島地震被災状況マップ 能登半島地震では、渡邉さん自身もフォトグラメトリ(三次元復元)を用いて。 能登半島地震フォトグラメトリ・マップ 確かに大量のデータを必要とするようなタイプのアーカイブって、オープンソースと相性良さそうよね。 個人ないし少人数の作品から集合知の営みへ。 技術の革新に比例するように、それが格好の題材として必要とされるような災いや争いが頻発する現代は果たして幸福と言えるのか。答えはもちろん否に違いない。 何の変哲もない(ように見える)ただの日常の集積が優れたアーカイヴとして存在しうるとき、それはまた新たな意義が付与されるのだろう。 【参考】 Cesium(The Platform for 3D Geospatial) https://cesium.com/ https://ion.cesium.com/signin/ Maxar(High-resolution Satellite Imagery)※緊急時には無償で画像提供 https://www.maxar.com/open-data スタジオダックビル(フォトグラメトリ) https://www.studioduckbill.jp/ 戦争をデジタル技術でリアルに 東大教授と学生が届けたいこと https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231110/k10014253521000.html 能登半島地震と災害マップ──即時対応と継続的な支援のために https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z0405_00030.html

Diary

2024年5月27日

越後奥三面

ポレポレ東中野で『越後奥三面 ―山に生かされた日々』を見た。 素晴らしいんだろうなと期待して行ったのだけど、やっぱり素晴らしかった。 ものすごいものを見た、という実感がある。 季節の移り変わり、そして連綿と続く人々の生活。 その様子を4年かけてカメラは追う。 なかでも雪に覆われた冬の情景は圧巻。 山に閉ざされた村、そしてダムの底に沈み今は存在しない村。 ガルシア=マルケスのマコンドの世界ではないか。 監督である姫田忠義さんと、その姫田さんが立ち上げた民族文化映像研究所(民映研)。 その最初期である1980年代、私の前職であるトヨタ財団が、まさに本作の制作や公開のため繰り返し助成を行っているのだ。これはちょっと誇らしいぞ。 11年前に亡くなられた姫田さんとは、人生で何度か交差したことがある。 京大にいらした際に上映されたのは確か『椿山』ではなかったか。 あと当時事務所のあった鶴川にも呼ばれ、長時間にわたってお話ししたこともある。 当時私は上記財団のプログラムオフィサーとして伺ったわけだが、姫田さんは民映研の持つ膨大な映像資料をどう残していくか、という切実な思いを持っておられたと記憶する。 姫田さん、何というか、Voiceがとっても良いのよ。 映画のナレーションも自分で担当してるけど、そのことはご自身でも絶対自覚しているに違いない(笑) 私の財団在職時、期せずして多くの民映研関係者の方々と知遇を得た。 姫田さんの同志でもあったグループ現代の小泉修吉さん。 助成プロジェクトのみならず、折に触れて映像関係のアドバイスをいただいた。 その弟子筋にあたる鈴木正義さんとはこちら。 後に映画『医す者として』に結実した。 カメラマンとして長年姫田さんと行動を共にした澤幡正範さんはこのプロジェクトのメンバーであった。 確か一緒に我がフィールドであるスラウェシにも行ったぞ。 (代表者の島上さんは師匠を同じくする院の先輩で、私が二十数年前初めてインドネシアに行ったときに初めて会った日本人でもある) 姫田さん最後の直弟子であった今井友樹さんも。 今回の『越後奥三面』デジタルリマスターにあたってクラウドファンディングにも中心的な役割を果たされたという。 そして、ささらプロダクションを立ち上げられ、今も親しくさせてもらっている小倉美恵子さん、由井英さん。 小倉さんは映画プロデューサーのみならず、今や心に染みる文章を書く稀有な文筆家だ。勝手に私淑している。 由井さんが10年以上をかけて監督した『ものがたりをめぐる物語』には内山節さんや田中優子さんや会田弘継さんといった錚々たるメンツに混じって、不肖私めも推薦コメントを寄せさせていただいている。畏れ多いことである。 (そういえば実はこの内山さんにも田中さんにも会田さんにもトヨタ財団時代に何かと関わってもらったのだった。今更ながら恵まれた職場や) 何が言いたいかというと、宮本常一から姫田さんへと連なるこの系譜は今も途絶えてなくて、そうした活動の一端に、民間の一助成財団の存在が多少なりとも寄与しているとすれば、その存在意義もあったということだ。 まさにプログラムオフィサー冥利に尽きるではないか。

DiaryMovie

2024年5月14日

マンガぼけ日和

『大家さんと僕』『ぼくのお父さん』に続いてこれもめっちゃ良かった。 認知症をこんなふうに描けるなんてほんま天才や。 マンガぼけ日和 原案からの漫画化を矢部太郎さんに依頼した編集者?もただ者ではないな。 有り難いことに両親は健在で、まだ経験せずにすんでるが、自分が先に死ぬというアクシデントが起こらない限り、これは近い将来、相当に高い確率で訪れる現実だ。 もちろん実際に介護にあたるとなれば綺麗ごとばかりではなく、大変なことも多々あるんだろう。 それでも、徐々に時間をかけて死ぬための準備ができて、続く世代その様をきちんと見せられて、そして当の本人は安らぎの中で逝けるという。 こんな幸せな終わり方が他にあろうか。

BookDiary

2024年3月13日

夜を乗り越える

本が好きだ。 中学から下宿生活を始めて当時一人時間だけはあり余っていて、部屋にテレビがない時期も多かったので、暇つぶしといえば本(かラジオかサッカー)だった。 だから大学行くか、となったときも文学部くらいしか選択肢として思い浮かばなかったのだ。 二十代後半になってようやく就職した頃は調子乗って月に何万も本に費やしていた。 が、経済的のみならず物理的なスペースにも限界を迎えてからは図書館を多用するようになった。 2013年にブラジルへ渡る際、数百冊を自炊、別の数百冊を断腸の思いで廃棄、残りの数千冊を実家に送り返したが、それなりに広さのある実家の結構なポーションを、私の数十箱の段ボールが占拠する結果となった。今更ながら、親にも非常に申し訳ないことであった。 今の住居は家族もいてますますスペースに限りがあるので、月に買うのは吟味を尽くしたせいぜい数冊程度とし、あとはひたすら図書館である。 区の図書館は一人10冊まで。子供名義のカードをほぼ私物化しているので自分のと合わせて20冊。基本、フルに枠を使っている。 加えて、ありがたいことに職場にも図書館があってこちらは30冊まで。そのうち何だかんだで20冊くらいはいつも借りている。 なので合計40冊前後の図書館本が常時家か職場か鞄のどこかにあって、返却期限と日々無駄に格闘している。一体何をやってんだか。 どこかで紹介されててとりあえず借りてみた『夜を乗り越える』。 又吉直樹さんの真摯さに心打たれた。 ここで語られているのは本への愛、文学への愛、そして太宰への愛だ。 『人間失格』は、十代の頃に読んでその過剰な自意識に「わ、これおれやん!」と自らを重ね合わせた。 ここまでは自分も又吉さんも同じである。 が、そこから私は他の代表作と言われる作品をいくつか読んだ程度で、又吉さんのように太宰治の全作品を渉猟する、ということはなかったと思う。 切実さ、向き合い方の度合いが雲泥の差だ。 本書で又吉さんが「全部が入っている小説」と絶賛する町田康さんの『告白』を十数年前に読んだときも、衝撃を受けたし、爆笑もしたし、城戸熊太郎の自意識が身につまされたけど、又吉さんほどの切実さを持って受け止めてはいなかった気がする。 大学院を出てから、十数年実務の世界で働いた(今もだけど)。 何か始めるとき、まず終着までの見通しを立ててみる。そこから逆算して最短ルートで攻略していく。 仕事なんて基本的には、そうやって計画立てたり優先順位つけたりして、限られた時間で効率よく要領よく進めていく方が良いに決まっている。 で、我ながら、それなりに実務の適性が自分にはあってしまった。結果、良くも悪くもそのやり方にいろんなところが浸食されてる。良くも悪くもというか、実生活を営む上で、ほとんどの場合それは大変に良いことなのだ。 おかげでかつて同居してた居心地の悪さみたいなものをポーンと外に放り出して、日々快適に生きている。 でもその弊害も確かにあって、仕事に限らず何か新しいことを始めようとするときに最後まで先走って見てしまう。見えてしまう。結果、今なんて、オチまでの道筋と結末時点のイメージが見えたら、実際にやる前から飽きちゃうことすらあるくらいだ(笑) 紆余曲折を経て、今は芸術を生業として生活が成り立っている。半分趣味みたいなもんだ。妻ももうすぐ、前から自分の行きたかった分野に転職するという。子供たちももう、文句なしに世界一かわい過ぎて困っちゃうほどだ。 つまりはこの不条理だらけの世界で何だかんだで身の回りは恵まれていて、何となくうまいこと落ち着いて、かつては過剰すぎた自意識もしゅんと収まっちゃってる感じよ。 その点又吉さんはどうだ。 芸人としても作家としても名を成しながら、いまだにこの居心地の悪さと同居し続けてる。対峙し続けている。その不器用さ、真摯さに大いに心打たれたのだ。 『劇場』にはいたたまれないくらいやられたけど、その深淵を垣間見た。

BookDiary

2024年2月22日

他人と一緒に住むという事

八木橋努さんと出会ったのは、彼の主催するワークショップに参加したのがきっかけだ。 7年半前、2016年春のことである。最中に熊本地震が起こったのでよく覚えている。 なぜワークショップかというと、当時私はワークショップデザインを学んでいたのである。 なぜ彼のワークショップかというと、当時私の行きつけだったどん底という新宿三丁目の飲み屋に案内の貼り紙がしてあったからだ。 ワークショップデザインを学んでいた身としては、こりゃ奇遇、面白そうじゃん、という軽いノリで参加を決めたのである。 なぜ飲み屋にそんな貼り紙がされていたかというと、後で知ったのだが、当時彼がそのどん底で働いていたからなのだ。だから、知遇を得たのはこのワークショップでだけど、実はもっと前に店員と客として会ったことはあったかもしれない。 即興的な対話劇を駆使したワークショップだったが、その実彼は実際に芝居を書き、演出を行うプロの劇作家でもあった。その頃すでに三本ほどの作品を執筆し、そして上演していた。 コロナ禍で一時中断を余儀なくされたものの、今も一年に一本のペースで作品を制作、上演している。 彼のメソッドはとても刺激的だ。 私が演劇でどちらかというと苦手なやたら大袈裟な身振り手振りとか、わざとらしさとかは一切出てこない。平田オリザ氏とはまたアプローチは異なるのだけど、独自のやり方でリアルとかどうしようもない人間の性とかを追求しているのである。 ワークショップの中で、設定と役柄だけ与えられて、即興でその場その瞬間にぽっと出てきた台詞や表情が、どんな脚本家が考えに考えても書けないリアルな言葉だったりして目から鱗。 おれってそんなこと感じてたんだ、いや、たとえそう思ってなかったとしてもこんな言葉が口から出ちゃったんだ、みたいな。事後的に気づいちゃうというか。 そしてそんな何気ない言葉たちを彼は貪欲にネタに取り込み、一つの作品を作り上げていく。なるほどその手があったか(笑) そうこうするうちに、彼は長らく勤めたどん底を辞し、そこから至近のゴールデン街のバーのマスターになった。当時新宿に職場があった私にとって有り難いことであった。 前後して彼は仲間たちと映画を撮り始めた。 2020年の正月に試写会があっていよいよ公開かと思ったらそうはならなかった。 (お招きいただいたのだが、ちょうど大学時代の仲間との新年会で痛飲後に駆け付けたので内容よく覚えていない) そこからさらに4年。撮影開始から実に7年の時を経て日本での公開に漕ぎ着けた。この執念、見習いたい。 で、昨日イメージフォーラムにてようやく視聴。 私も飲み屋のマスターとして一瞬映り込んでいるのはご愛嬌である。 うだうだした冴えないやり取りの中についつい自分を見てしまういたたまれなさ、人間の愚かしさに垣間見る可笑しみみないなものが何とも言えない。八木橋さん独自の世界だと思う。

DiaryMovie

2023年12月13日

Que rápido pasa el tiempo

久々にアルゼンチンへ行ってきた。 南米大陸自体、2015年7月にブラジルを発って以来である。 この8年はあっという間だけど、移動の30時間はやたら長い(笑) あまり自由な時間はなかったし、滞在したのもブエノスアイレスのみではあったけど、タンゴもアサードもスペイン語も懐かし過ぎてご機嫌ご機嫌。 15年前、前職時代に「アルゼンチン日本人移民史」の刊行プロジェクトでご一緒した米須清文さんも変わらずご健在であった。何よりである。

DiaryJourney

2023年12月9日

仮面 ー隠されたもの、顕れたもの 第1回

舞い、謡う。仮面のアジア  毎年特定のテーマを設け、藝大ならではの多角的視点からアプローチを試みる意欲的な企画「藝大プロジェクト」。今年のテーマはずばり「仮面」です。2回シリーズのうち第1回にあたる今回は、アジア各国から選りすぐられた三つの仮面芸能を、ミニレクチャーとともにお楽しみいただきます。  古今東西、その土地における宗教や祭祀の儀礼で使用されるのみならず、美術や演劇、音楽といった芸術の諸分野においても、それをモチーフとした魅力的な作品が多く作られてきました。「顔を覆う」という一見不自由極まりない制約から、人は想像力を駆使し、豊穣な世界を生み出してきたのです。  新型コロナウィルスによって、あらゆる活動に制約が課されたこの数年。鬱屈した思いを、その象徴的存在であるマスク(=仮面)に託して、いざアジアの深淵へ!

News

2023年10月10日

言語の本質

『言語の本質 -ことばはどう生まれ、進化したか』(今井むつみ、秋田喜美) 非常にスリリングな本だった。 一般に言語学では周縁の分野と認識されている、それでいて二人の著者がこの上なく偏愛する「オノマトペ」を切り口に、言語に迫る。 なかでも、オノマトペが身体性とリンクしているがゆえに、子供が言語を習得するにあたっての取っ掛かりとなり、かつ言語という広大な抽象概念とを架橋する存在でもある(大意)、という洞察は、私自身が幼い子供たちを目の前にして、日々体験する現在進行形の実感と相俟って目から鱗だ。 そしてそれは、ソシュール以来の言語の恣意性という大原則をも覆すものなのであった。 ここでも「ゆる言語学ラジオ」大活躍(笑) 紹介されている【赤ちゃんミステイクアワード】はどれも本当に興味深い。 言語学者にとってこれほど気軽にアクセスできる宝の山もなかろう。集合知の賜物やなあ。 で、たまたま図書館から借りて同時に読んでた本でも似たようなことが書かれてて驚いた。 『動物たちは何をしゃべっているのか』(山極寿一、鈴木俊貴) ご存知ゴリラ研究の山極寿一先生と、シジュウカラ研究の鈴木俊貴さんという若き研究者の対談本だ。 お二人の専門は動物のコミュニケーションなのだが、そこから通して見える人間のコミュニケーション、そして言語への考察へ話は進む。図らずも先の「言語の本質」と問題意識は共通しているのであった。 山極先生の言うところのインファント・ダイレクテッド・スピーチ(大人から赤ちゃんへの話しかけ)なんて、人間からペット(動物)への言葉そのものだし、まさに身体と結びついたオノマトペ的な語法と共通するよね。 そして山極先生の関心は、音楽や踊りといった、より身体的、根源的なコミュニケーションへと展開する。さすがや。 言葉はたくさんあるコミュニケーション手段の一つに過ぎなかった。ところが、現代社会ではその地位が極端に高くなってしまっている。(P.167) これは、敬愛する西江雅之先生が手を変え品を変え、何十年も前から主張されてたことでもあるな。慧眼!

BookDiary

2023年9月23日

小川さやかは知っている

奉職している大学では、主たる業務以外にも、全学にまつわる委員会やらワーキンググループやら、さまざまな役割が回ってくる。 このクソ忙しいときに、と思わないでもないが、余程のことがない限り引き受けるようにしている。 今いる大学で自分のようなバックグラウンドを持つ人間は少数派なので、多様性を担保する意味で、それはそれでお役に立てる部分もあるだろうと僭越ながら自負しちゃっているのだ。 委員を拝命している会議の一つに教養教育センター会議なるものがある。良くも悪くも専門知に特化しがちな本学学生に対して、幅広い教養教育の機会を提供しようということで、そこの開設授業でどういうことやろうとか、どんな人に外部から講師に来てもらおうとか、他科から集められた先生方と議論しているわけだ。 で、今年度このセンターに新設されたのが「先端知を識る」なる授業。前期のみの開講で、外部から計四人の講師が1ヵ月(4回)ずつ担当するオムニバスの講座だ。 結果的に四人のうち二人が、私が推薦、というか紹介した人に来ていただくことになった。 一人は神崎亮平先生である。 神崎先生には2年前、縁あって私の担当している授業に出てもらった。 でもそのときはコロナ禍真っ只中でオンラインでの開催だったので、実際にお会いしたことはなかった。 これまでのブリリアントな研究業績はもちろんながら、何というか、画面越しにも伝わるスコーンと突き抜けた明るさみたいなのがあって、今回ゲスト講師の推薦を依頼されたとき、真っ先に神崎先生のことが頭に浮かんだのだった。 そしてもう一人が、大学院の同窓であり、このマニアックな研究科の出身者の中で(中島岳志さんや川瀬慈と並ぶ)出世頭である小川さやかだ。 この講座の講師をオファーした際、本人から快諾もらった後の細々したやり取りは、まさかの秘書さん経由。 うちの大学で個人秘書がいるのなんて、せいぜい学長くらいじゃないか。 早々に見せつけられたこの彼我の差よ(笑) さもありなん。 この人の言うこと書くもの、ことごとく面白いのよね。 都市を生きぬくための狡知―タンザニアの零細商人マチンガの民族誌― ウジャンジャである。狡知、とはなかなか秀逸な訳語ではないか。 フットボーラーの立場で言わせてもらうと、ブラジルで言うところのマリーシアやな。 十年以上前(2011年)、デビュー作にて早々にサントリー学芸賞受賞。 お呼ばれして授賞式も行った記憶ある。そりゃあ選ばれるわ。 そして。 「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学 「その日暮らし」とはまた絶妙なキーワードを出してきたものだ。 今の日本で「その日暮らし」なんて、一般的にはネガティブな文脈で語られることが多いだろう。 その対極で、今私たちは例えば「老後のためにお金貯めよう」とか「将来のために今は(我慢して)●●しなければ」とか、そんな考えが、もはや疑う余地もないくらいに自明のものとして染みついてる。 が、彼女の描き出す「その日暮らし」はそんな凝り固まった価値観を軽やかに飛び越える。 そんな窮屈な強迫観念は、たまたまこの時代、この地域に蔓延した特異な奇習であって、普遍的なものでも何でもないことを鮮やかに活写する。 それを押しつけがましくなく、フィールドでのタンザニア人との絡みからサラッと浮かび上がらせるその手腕がサイコーなのだ。 小川さやかの類いまれな才能はもちろんのこと、 その能力を存分に発揮させられるだけの人類学の学問としての度量もまだまだ捨てたもんちゃうやん、とエラそうながら思っちゃう。 惜しむらくは、このオムニバス講座(水曜4限)が自分の担当授業とモロ被りのため、結局一度も聴講できなかったことだ。 どの学生よりも私が一番聞きたかった講座なのに。残念すぎる!! せめて資料だけでも貰うことにしよう。

BookDiary

2023年7月7日

On Writing

昔は山ほど書いていた。 小学生の頃から文章だけは褒められた。 毎度当たり前のように賞をいただいていたのである。 中学生になって一人暮らし始めてからは、書いても書いても書き足りなかった。 日々の出来事に感情が追い付かなかったのである。 今でも覚えているのは高校生の夏休み、止まらなくなって1日で大学ノート1冊書きつぶしたことだ。 とにかく書かずにはいられないことが溢れ出していたのだ。 この感性が今も続いていれば、すでに芥川賞どころかノーベル文学賞を取っていたであろう(笑) 大学に進学しても、書くことへの飢餓感は続いてた気がする。 そもそも大学の選択も、おれは書ける人間だから、ということで文学部一択だったのである。 実家を漁れば、百冊は優に超えるノートが埋もれているはずだ。 大学院に入っても、フィールドノートという形で、どうでもいいこと含め、逐一書きつけてたと思う。 その頃は異国の地でそれなりに貴重な経験をしている自覚があって、それを残しておかなければ、と思ってた気がする。 それ以前はもっと純粋に、とにかく書いておかなければ、というやむにやまれぬ感情があった気もする。 気づけば今は何だ。 文章は毎日それなりに書いている。 が、メール対応、チラシ、企画書、ご挨拶等々。フォーマットの決まったものだ。 いつからなのか。 ブラジルから帰国してからか。 家族を持ってからか。 子供が生まれたからか。 大学に転職したからか。 書くまでもなく楽勝で現実に対応できちゃうほど、歳を取ったということか。 先日、敬愛する某氏から論文書け、と言われた。 さておれは何を書けばいいんだっけ、としばし呆然としてしまった。 で、焦燥にも似たもどかしい思いを抱えている。 ここ数年、書くことについてあまりに無頓着でありすぎた。 こりゃあきまへん。 これから日々原稿書きに勤しむことになるであろう。

Diary

2023年5月30日

オール・ベートーヴェン

行ってきた。とっても良かった。 https://twitter.com/pactgd/status/1647908706355646465 指揮者なしでこれができるなら、指揮者の存在って一体何よ、と考えさせられる。 指揮者をおかないオーケストラで指摘したいのは、リーダーが不在になるのではなく、リーダーの権限が分散され、状況に応じてむしろリーダーが増える、という点にあります。それまで指揮者が決めていたこと、例えば音を出すタイミングや音量のバランス、音楽的なアイデアをその時々の重要なパートの奏者達が自分で決断して行く、あるいはそこに至るまでの議論を重ねて行くことになるでしょう。(中略)オーケストラの民主主義が、生き生きとした自発的なアンサンブルをもたらすのか、どちらつかずの停滞をもたらすのか… (北川森央さんのプログラムノートより) 奥が深い。 その意味で言うと、このチャレンジングな試みは成功したと言えるのではないだろうか。 もう一つ改めて認識するのが、このコロナ下、そしてAIを巡る議論の中でも散々言われてることだけど、オンラインやデジタルに対するライブの圧倒的な体感だ。 特にベートーヴェンなんて、過去の名演といわれる映像がいくらでもネット上に漂っててタダでお手軽に視聴できる。かたやホールだと寝転がって聴けない、隣のおっさんに気使う、つまみ食いできない、ずっと座ってたら腰痛い……そんなデメリットたちも補って余りある悦楽的な時間と空間がそこにはある。 世に疎いままボケっとしてたらまた一周回って、期せずして肥沃で広大なフィールドがどかんと目の前に顕れた感じだ。 そう、身体さえそこにあれば何だってできるのだ。

DiaryMusic

2023年4月20日

Camino, 2019

2019年2月、サンティアゴ巡礼。 ただ食って飲んで歩いてをひたすら三十数回繰り返せばよかった日々がとてつもなく懐かしく感じる。 冒険、というほどのスリルは皆無。 熱心な信徒には怒られるけど、巡礼路であると同時に、これ以上のエンタメ体験が他にあろうか。 この4年、世界も、身の回りも、想像もできないほどに大きく変わった。 次にこの贅沢極まりない時間と空間を味わえるのはいつになるだろうか。

DiaryJourney

2023年2月18日

1 2 3 9
PAGE TOP