アジア非営利セクター国際会議(ICANS)

ICANS (International Conference on Asian Nonprofit Sectors), January 20-23 2016, organized by the Toyota Foundation. More than 100 people of nonprofit sectors from Asian countries get together at International House of Japan, Roppongi. Perhaps this is the first attempt to gather and share our knowledge and experience. I’m not engaged in this project directly, as I stayed in Brazil until last year. I just joined yesterday only as a photographer. Ken Aoo, Hideo Tone and Michiru Sasagawa of TF prepared for the event for more than 2 years. I respect all the efforts they made, and congratulate the great success of ICANS. Hope that the network will continue and expand! Photos:ICANS, January 20-23 2016 Report:アジア非営利セクター国際会議(International Conference on Asian Nonprofit Sectors: ICANS)

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2016年2月1日

Despedida no aeroporto

JOINT 19号(2015年10月)より転載
https://www.toyotafound.or.jp/joint/data/joint19.pdf
(連載第1回~第5回については、JOINT14号~18号に掲載)  ブラジルから帰国して早三か月が過ぎました。再び東京で慌ただしく暮らす今、地球の反対側の小さな街に二年もいたということがすでに信じられない気持ちです。
 二年間の活動を終え、帰国のため深夜2時半のフライトで任地ポルトヴェーリョを離れる最後のとき。翌日も朝早くから仕事があるにもかかわらず、そして事前に何度も送別会を開いてくれていたにもかかわらず、同僚や生徒たちを中心に約40名の人々が空港へ見送りに来てくれました。搭乗口へと移動する直前、みんなにお別れの挨拶を始めたその刹那、一体何年ぶりでしょう、思わず落涙するのを抑えることはできませんでした。 マリーザさん そんな私にあなたは絶妙な間合いでおちゃらけた突っ込みを入れてくれましたね。おかげで途中まで出た涙は瞬時に止まり、爆笑へと変わりました。全員笑顔の中、自分にふさわしい愉快な最後を迎えることができたかなと思います。 オスカルさん 思ったより周囲にサッカーする人もお酒飲む人も少ない中、あなたはこの街で唯一無二のサッカー友達にして飲み友達でした。あなたの日頃のお誘いにどれだけ救われたか分かりません。 マリエラさん 当初は意見の相違でぶつかることもありましたが、それも学校のことを思えばこそ。あなたがいなければこのポルトヴェーリョ日系クラブは成立しません。いつまでも元気でご活躍ください。 ルイキ いつも優しくていじられキャラのあなた、つい私も調子に乗ってしまい、度を越したいじりで一度泣かせてしまったこともありましたね。反省しております。でもあなたは同僚として変わることなく、常に私の活動をサポートしてくれました。ありがとう。私がキューピットとなって付き合うことになった最愛の彼女と結婚するときは式に呼んでね、交通費とともに! ライーザ 若くしてほぼ独学で日本語を習得したあなたのスマートさには心底驚きました。途中から学業や仕事が忙しくなり、教壇に立つ機会は減ってしまいましたが、弁護士になるというあなたの目標を叶えた暁には、約束通り必ずや日本に遊びに来てください。祝杯をあげましょう。 アルベルト 私が赴任したときは教師見習いとして授業をサポートしてくれていたあなたが、今や学校にならなくてはならない大黒柱に成長しましたね。報酬もほとんどないにもかかわらず、いつも学校のために尽力するあなたを、心から頼もしく思います。 ナターリア 同年代の優しい同僚たちの中で、唯一人ずけずけと物事を言ってくれるあなたは私にとってかけがえのない存在でした。一年前、念願だった日本への一人旅から戻ったとき、その感想を興奮気味に語ってくれたあなたの表情を決して忘れることはできません。おかげで私は日本のことがもっと好きになりましたよ。  熱心に私の授業に耳を傾けてくれた生徒の皆さん、心から感謝します。あなたたちのおかげで私の二年間は実り多いものとなりました。
 そしてあまり熱心じゃなかった生徒の皆さんも、ありがとう。そんなあなたたちにどう説明したらよく分かり易く言いたいことが伝わるだろうか、と試行錯誤することで、私のポルトガル語の表現力は格段にアップしましたよ(笑)。  最後に読者の皆さん。このアマゾン奥地での二年間がどれだけ「国際的」と言えるものなのかよく分かりませんが、財団に復職後、国際助成プログラムを担当しています。次はこの誌面ではなく、世界各国・全国各地の現場でお会いしましょう。Obrigado por tudo!

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2015年10月25日

地域のための再生可能エネルギー

北海道周遊 Field trip to Sapporo(札幌), Ashibetsu(芦別) and Yubari(夕張) with practitioners and researchers from Asian countries. 南米づいてた自分にとって、久しぶりの国内周遊。東南アジアの人たちとも久々の交流を楽しむことができました。 Photos:Hokkaido(北海道), from 2 to 5 October Report:北海道「地域のための再生可能エネルギー -日本とアジアから考える」国際ワークショップ・シンポジウム 【追記】 本イベントでお世話になった秋山記念生命科学振興財団の常務理事・宮原正幸さんが2017年12月19日急逝されました。心よりお悔やみ申し上げます。

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2015年10月15日

Albente

10年前の今頃働いてたAlbenteへ。 ツネさんかわんないなー

Diary

2015年8月28日

ジュン

バンコクでジュンに再会。一体何年ぶりやねんな。 2001年当時シンガポールで一緒にボール蹴ってた彼が、いまや日タイをまたにかけるIT起業家にして、東南アジア各国リーグの日本人選手たちをマネージする影のフィクサーですよ。やりおるなあ。

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2015年8月23日

Starting All Over Again

7月1日、帰国 2年ぶりに日本へ帰ってきたぞ。 ブラジルが面白すぎて、帰国したら鬱にでもなっちゃうんじゃないかと思ったけど、意外と適応できている。 やっぱ日本いいとこだな。 メシは何食っても美味いし、どの店入っても店員さんたちのサービス精神はんぱないしな。 帰国して成田からクロネコヤマトでスーツケース送ろうと思って空港のカウンター行ったんだけど、そのヤマト社員さんたちのキビキビ動くこと動くこと。 無駄なく絶え間なく動き続け、で、ほとんど待たされてもないのに「お待たせしました」と。 当然ながら、お釣りもちゃんと1円単位でくれます。 感動しすぎて、不覚にも泣きそうになったね私は(笑) 逆に言うと、ブラジルではそんだけゾンザイに扱われてたということか。 まあ、それはそれで気遣わなくていいぶんラクだったということも言えるし、 この日本の素晴らしすぎるホスピタリティは、そんだけのストレスを送り手に強いているということなのかもしれぬ。どちらも良し悪しということなんでしょうなあ。 家探しの週末を挟んで、さっそく翌週からサラリーマンに復帰である。 久しぶりのデスクワークというのも、結構楽しいもんではないか。 やっぱ2年もブランクあると何でも新鮮に感じるもんなのね。 来週いっぱいくらいまでは、役所行ったり荷物搬入したり家具揃えたり挨拶回りしたりで、生活基盤整えるのにあくせくしてると思う。 以降、飲みましょう。ぜひとも日本を満喫いたしましょうぞ。 6月20日、お別れ会 恒例のフェスタジュニーナ、兼お別れ会。 Photos:Festa Junina / Despedida, 20 de junho そして6月28日、任地ポルトヴェーリョからサンパウロへ出発前の空港にて。 午前2時過ぎのフライトにもかかわらず、多くの人々が見送りに来てくれたのです。 ありがとう。皆さんのことは忘れません。 【追記】 さらば灼熱の地ポルトヴェーリョ。

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2015年7月17日

バイホ・チラデンチスに集う人びと(順不同)

うふふ。 ふふふ。 Abraços a todos!! Photos:Caras em Porto Velho, 2015

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2015年6月15日

レンソイス

ちょっとした小山を登りきるとそこは、、、 うひゃー、なんじゃこれ!!! レンソイスです。 Photos: Lençóis São Luís 帰国前の慌ただしい中、無理なスケジュール組んで行った甲斐ありました(T T) これでブラジル、もう思い残すことはありまへん、と言いたいとこなんだけど、唯一あとロンドニア州の、(観光用とかではないホンモノの)インディオ居住区、今回の滞在では行けないまま時間切れになりそうだ。 ずっと行きたいと思ってFUNAI(Fundação Nacional do Índio/国立インディオ財団)に打診もしてもらってるんだけどいろいろややこしいみたい。 一度、もともとインディオで今は街で暮らしている友人から誘われたのだが、そのときは別の行事と重なって断念したのだ。 今にして思えば千載一遇のチャンスやったな。ま、しゃーない。 ちなみに我がロンドニア州にはこうした居住区が部族/民族ごとに33あるという。 とまれこれからあと二週間は、私にとって(ブラジルという)非日常の中の(ポルトヴェーリョという)日常の中のさらに(帰国前のドトーの)非日常、という複雑なレイヤーの日々。それに伴って気分も徐々に微妙なグラデーションである。 そんな中でもできるだけ淡々と中庸、を心掛けておるのです。

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2015年6月9日

拳銃ぶっ放しにいってきた

普段お世話になってるTさんに、拳銃撃ちに行こうと誘われた。 Tさんちから歩くこと1分。前の通りを隔ててほんのすぐのところにこんな場所があったとは。 ここブラジルでは、一般人でも拳銃を持ち歩くことが許されてる。 で、拳銃自体は1丁あたりだいたい6000~8000ヘアイス(約24万~32万円)だけど、それを所持するためのライセンス、というのが1丁ごとに必要で、それにも拳銃本体と同程度の費用がかかるという。 見せてもらうと出てくる出てくる、免許証大のライセンスカード、わんさかと。 一体何丁持ってんだ(笑) 所持するには要ライセンスだけど、それをぶっ放すのは誰であろうが全くもって自由(多分)。 このたびは、その射撃場のオーナーみたいな人が、Tさんの所有する不動産の店子でもあるということで、何の登録も支払いもなく、ホンモノの拳銃をパンパンパンパン撃たせてもらってきたというわけなのである。 いやー、役得役得。実に稀有な体験であった。 撃ったときの衝撃で拳銃がピュンと上に跳ねる。 でも引き金は驚くほど軽くてほんとパンパン撃てちゃうのだ。 こんな軽いの一発急所に喰らうだけで人が即死しちゃうわけで、ちょっとおっとろしい気分になりますね。 で、もちろんこんなもん持たずに普通に暮らしていけるならそれに越したことはないんだけど、現実にはそうはいかないのだ。 私自身は、この2年間のブラジルで危ない目には遭ってないけど、それは僥倖以外の何物でもない。 同じアパートの隣人は何度も空き巣にやられてる。身近な人間の中にも実際に銃で襲われた人何人かいるし、周りで殺人事件もしょっちゅう聞く。 Tさんにしたって、自宅へ空き巣に入られたこと、一度や二度どころではない。 そんな物騒な世の中では、好き嫌いにかかわらず持たざるをえない、というのが現実なんですね。 ん。ちょっと待て。 これはあくまでブラジル社会の中での個人の話だけど、 今日本では国のあり方として似たような議論が巻き起こってるようですな。武装するしないだとか、自衛するしないだとか。 実際に拳銃ぶっ放してみるとリアリティあるな。 そりゃ戦争なんかしたかないけど、かといって殺されちゃったら元も子もないから武器も持ちたくなるわけで、襲われたら反撃もしたくなるわけで。そりゃ一概には否定できんよのう。不本意ではあるけど。 なかなかに悩ましいお題である。 上がブラジル製、下はチェコ製。素人ながらに、チェコ製のが撃ちやすいと感じました。 こちらは猟銃。 インストラクターの皆さん。さすが、揃いも揃って皆ごつすぎ(笑)

Diary

2015年5月20日

おうち探し

最近のマイブームは、というか思いっきり必要に迫られてやってるだけなのだけど、 んもう完全に新居探しである。 ヒマさえあれば掘り出しもんはないかと、物件サイトをあさりまくっている。 7月1日に2年ぶりに帰国する。 1ヵ月半後にはまた自分が日本で普通に暮らしてるなんてちょっと実感湧かないけど、まあこればかりは仕方ない。 ここブラジルでの住居、間取りは2LDK、一部屋がバカでかいので面積優に100平米はありそうだ。家賃850ヘアイス(約34000円)、そして何より通勤時間30秒(!)、 ただし治安悪いけど(←この2年間でアパートの隣人、3度空き巣にやられる・笑) 私が帰国後復職することになっている職場は西新宿だ。 さすがに現在のような好条件な部屋を東京で望むのは無理筋だが、限られた時間や予算の中で、これだけは譲れない、という条件をいくつか挙げてみよう。 間取り最低でも2DKは欲しい。 広さ最低でも40平米は欲しい。 家賃最高でも十●万以内。 かつ築20年以内が望ましい。何となくだけど。地震怖いし。 ブラジルに来る前、東京で住んでいたのは3DK、約50平米。それでも手狭だった。 私、一人暮らしの分際でやたら荷物が多いのだ。 結局前回の引っ越し時はファミリー料金取られちゃったし(笑) なので新居も3DK以上、あるいはより広ければ広いに越したことはないのだけど、もし以下の条件を満たすのであれば、2DKの間取りでも私は耐え忍ぼうぞ。 チャリ通できる。 これよ、これ。 さすがに今みたいな通勤時間30秒というのは望むべくもないけど(そもそもあの西新宿の高層ビル群の中に住みたいと思わねーし)、せめてチャリで通える距離には住みたい。 もっと正確に言うと、チャリでも歩きでもいいんで、とりあえず電車通勤はしたくないということに尽きる。 この2年間の生活で、私の通勤にかける時間とエネルギーに対する耐性は崩壊してしまいました(笑) もう今さら毎日満員電車だなんて考えられまへん。 というわけで、今私の中で第一候補はずばり東新宿だ。 東新宿から西新宿まで、地下鉄でいえば2駅分、チャリだと10分くらいだろう。 往復20分の有酸素運動で毎日手っ取り早くダイエット対策できる! 大久保とか歌舞伎町で飲んだり末廣亭の寄席覗いたりしてそのまま歩いて帰れる! 合気道の本部道場もすぐ近くだし! 休日は御苑で緑の空気をスーハースーハー(笑) 何かと便利だろうなあ。そんな新生活を夢想している。 新宿でなければ、四谷とか神楽坂とか、あるいは馬場くらいまでならありかなあ。 快適な生活にあたって住居はこの上なく重要ですよ住居は。 良い物件に巡り合いたいものです。

Diary

2015年5月14日

ワンダフルライフとゴーストスープ

是枝監督の『ワンダフルライフ』を再見した。 例によってリベルダーヂで買ってたのである。 「あなたの大切な思い出を一つだけ選んでください」 そこで選び再現された一番大切な記憶とともに、人は天国へと旅立っていく、らしい。 いやー、やっぱいい映画ですね。 こういう静謐で世界観のある映画が好きだ。 そして改めて見て私は、一本の作品を思い出した。 岩井俊二の『ゴーストスープ』である。(←ていうかすごい。日本の作品やのにWikiったら日本語版はなくて英語版だけあった) こちらもテーマは、死者の交感と旅立ちの物語だ。 映画じゃなくテレビドラマだし、まだ彼がブレークする前だし、尺も短いし作りもチープだしで(ってボロカスやな)、多分全然メジャーな作品じゃないと思うけど、これもめちゃいい短編なのよ。 http://www.dailymotion.com/video/xto1gw_%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88-%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%97-ghost-soup-trailer-1992-iwai-shunji_shortfilms 鈴木蘭々、若い!! こういう作品たちのよくないところは、優れた作品であればあるほど、見終わった後にほっこりしちゃって刹那の幸福感で満たされてしまって、俗世に散らかりまくってる身の周りの出来事が、もうどうでもよく感じられちゃうことだ(笑) これはあきまへん。 帰国を間近に控え、山ほどある提出書類とか手続きとか荷造りとか新居探しとか引っ越しとか…。ああ考えるだけで頭痛くなってきた。 にしても雨多いな毎日。いつまで雨季やねん。 いくらアマゾンといえ、もう5月やぞ!!!  

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2015年5月7日

『Nのために』にハマる

『Nのために』なるドラマを見たぞ。 全10話、3日間で。 1月にサンパウロ行ったとき大量の映画DVDとともに、この連ドラも大人買いしていたのである。にしても2014年10月~12月までのドラマで、翌1月にはもうDVDがコンプリートされてるなんて、大した機動力だな。Amazon調べてみたら、オフィシャルのDVDが発売されてたのはつい先日の3月25日だったのに。 おそるべしリベルダーヂ。 連ドラを通して見たのは昨年の『あまちゃん』以来だ。 友人Sに勧められ買ってはみたものの、ほんまにおもろいんかいや、と半信半疑だったのだが、いい意味で期待を裏切られてしまったぞ。見事に「Nロス」になってしまった。 現実的には無茶やなって設定とか展開もあるにはある。 例えば。 N作戦ってのが出てくるんだけど、野バラ荘ってボロアパートを救うために野口夫妻とお近づきになるってのが最初。んで旦那の野口貴弘から嫁の奈央子を奪い去るのがN作戦Ⅱ。このドラマの肝とも言えるこの2つの作戦が、いずれも杜撰すぎる。んなアホな!連発である(笑) ドラマの冒頭で、希美(榮倉奈々)の親父(光石研)が愛人連れて来て、家族が豪邸追い出されるんだけど、そんな下世話なスキャンダル起こしときながら、それ以後も親父の会社が何事もなかったかのようにうまく回ってるのが不思議だ。少なくともドラマで描かれてるようなあんな小さな島のコミュニティであれば、あんなこと仕出かしたらもう噂が噂呼んで島中から白い目で見られ、まともにビジネスどころじゃなくなると思うのだが。特に信頼が必要な建築業だし。それともあの親父、よほど天才的なビジネスマンなのだろうか。 大学で英文科だったはずの希美が、卒業後数年で、友人と一緒に設計事務所を立ち上げてるってのも不可解だ。しかもやたらいいとこ住んでるし、それなりに稼いでたであろうことも窺える。そんな優秀だっけ希美って。少なくとも高校時代の彼女はそのように描かれていない。慎司にも将棋負けっぱなしだし。 仮に百歩譲って努力の末に何とか事務所を立ち上げたのはいいとしても、理由も告げずにあっさりそこを辞めるのも不自然だ。一緒に起業した仲間ともなれば、ともすれば学生時代の友人たちより深くいろんな苦楽をともに味わったはずなのだ。ちょっとパートナーを舐めてやしないか!?身勝手すぎるぞ希美! 後半から野口貴弘ことチュートリアル徳井の役柄が狂気じみてくるんだけど、彼の演技がチュートリアルの漫才ネタにしか見えません(笑) M1で優勝したのもあんな感じのテンションだったしな。いやむしろそれを見越しての抜擢だったのだろうか。 https://www.youtube.com/watch?v=acRI9OMTZNo   原作読んでないけど、小説ではそういうとこももうちょいナチュラルに描かれてるのかね。 それはともあれ、多少無理のある展開を、何とか最小限に抑えようという脚本家の工夫は随所に見られたし、現在・大学時代・高校時代と3つの時間を頻繁に行き来しながら、徐々に徐々に謎を明かしてく手法も見事だと思った。これは10回の連ドラだからできることで、2時間尺の映画でやられたらせわしなく感じるだろうしな。まさに連ドラならではの醍醐味だ。 これで『あまちゃん』『Nのために』と見た連ドラ、続けて当たりだ。 これは私の選球眼が良いせいなのだろうか、それとも単に自分が無知なだけで、今日本の連ドラっておしなべてこんなレベル高いんだろうか。やりよる連ドラ。 いやー、にしても最後、奈央子(小西真奈美)が、自らを救出しようと(勘違い)していた西崎(小出恵介)に放った一言にはぶったまげましたね。 未見の方はぜひ。

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2015年4月14日

カズはすごい。ほんますごい。

ご存じ三浦知良選手がJ2ジュビロ磐田戦においてゴールを決め、自らの持つJリーグ最年長ゴール記録を更新した。 この人はほんますごいな。 48歳1ヵ月10日でのゴール。 仮に10歳若い38だったとしても「大ベテラン」と言われるであろうサッカー界において、40をとうに越え、今や50近くになっても未だアスリートとして結果を残すとは、並じゃない。超人でしょほんま。 私の見るところ、カズの選手としてのピークは、ブラジルのコリチーバからサントス、帰国後はJリーグ開幕前の読売クラブ、そして開幕最初期のヴェルディ時代までだ(具体的には89年~93年くらい)。 ああ懐かしのオフトジャパン、92年のアジアカップ決勝@広島ビッグアーチ。 https://www.youtube.com/watch?v=urYJmKkXbeU   当時広島に住んでた私はこの歓喜の瞬間を、サッカー部の友人たちとまさにこのスタジアムで迎えたのだった。振り返ってみれば、この頃が当時成長著しかった日本代表、そしてカズにとっても最高の時期だったのではないだろうか。 それ以降は、セリエA仕様に合わせるためなのか(彼は94年ジェノアに移籍し、アジア人初のイタリア・セリエAプレーヤーとなった)、ウェイトでヘンに筋肉付けすぎちゃって、見るからに堅くて重々しいプレーになってしまった。走るたびにドシッ、ドシッって鈍い足音が聞こえてくるくらいに。 ブラジル時代のプレーも決して柔らかいとは思えないけど、それでも余計な筋肉がない分、軽やかなステップには目を見張るものがあったのだ。世界で伍して戦うには致し方のない選択だったのかもしれないけど、もうちょっとマシな方策もあるはずで、個人的にはカズのこの「肉体改造」は誤りだったと思っている。 https://www.youtube.com/watch?v=D96C6A_aCSU   https://www.youtube.com/watch?v=ZY_j--iOMbU   なので、失礼を承知で率直に言ってしまうと彼のピークは20年前に過ぎてるし、今さら全盛期のキレキレの動きが戻ることはないし、残念ながらもう日本代表に選ばれることも、子供の頃からの夢であったW杯に出場することも叶わないだろう(ファンとしては、やはり98年フランス大会には出てほしかったけど)。 が、たとえかつてのピークからは衰えたとしても、常に心身をコントロールし、自らにとっての最高値を30年にわたって維持し、かつ結果も残すって、もうその時点で驚異的でしょ。 本人は年齢とか関係無く、プロフェッショナルとして誇りをもってやってるはずで、こんなことで周りから取り上げられるのはあまり本意じゃないだろうけど、それでもやはり最大限の敬意を払わずにはいられません。 特に、浮気性でいろんなことにすぐ目移りしちゃう私だからこそ、このカズさんの一つの事に真摯に向き合う続ける姿勢というのがより一層眩しく見える(笑) カッコ良すぎるぞカズ! うむ。カズを観にスタジアム行くのも、帰国後やることリストに加えておこう。

Football

2015年4月7日

三ヵ月後の今頃にはぼくは

2月に、ブラジルに来て二度目の誕生日を迎えた。 今さら誕生日なんて嬉しくもなんともないんだけどさ、前後を含めた数日、各所から何か過分なほどに祝ってもらっちゃって、それはそれは悦しい時間を過ごしたのだった。 で、翌3月は3月で親しい友人たちの誕生日がごっそり固まってて、ほんと毎週パーティーがあった。 飯食って、歌歌って、ケーキ食ってシャンパン飲んで…と、やるこた毎度ほとんど一緒。 でもそれぞれの人にとって例外なく一年に一度限りのイベントである誕生日、ここブラジルでは(他の多くの国々と同様)日本よりはるかに大きな意味を持っていて、同じメニューが毎週続いたとしても飽きもせず、繰り返し繰り返しフェスタは催されるのだ。 何というか、温かく幸せな瞬間たちでしたね。 で、こういうのが続けば続くほど久しぶりにセンチメンタルな気分も募ってしまったわけよ。 毎度の甘ったるーいケーキとガラナをほうばりながら考えた。 来年の誕生日を迎える頃にはぼくはもうここにいない。 いやそれどころかもう三ヵ月後の今頃にはぼくは、日本に帰国する機中にいる。 今から三ヵ月前といえば、ちょうど年末の旅行でパラグアイを巡ってた頃だ。 そこから今までと同じ期間をもう一度過ごしたら、もうブラジルでの生活は終わってしまうということか。 って、ほんますぐじゃん!!!(T T) かつて梶井基次郎は記した。 こんなに美しいときが、なぜこんなに短いのだろう(『冬の日』) うーん、さすが梶井ちゃん、ええこと言いよる。 (ちなみに切なすぎるこの短編は青空文庫でタダで読める) 俵万智は詠んだ。 一年は短いけれど一日は長いと思っている誕生日(『サラダ記念日』) ああそうだそうだ。良くも悪くもほんとそうだ。 三ヵ月後の機中でロングバケーションの終焉を迎えるぼくは、 8月31日の小学生みたい(赤名リカ@『東京ラブストーリー』) なのを、さらに100倍くらい陰鬱にした感じに仕上がってることであろう(笑) まあせめてそれがちょっとでも軽減されるよう、帰国までの日々、ブラジルを味わい尽くしましょうね。 (いや、そんなことしたらしたで逆効果かな) ちなみに今日3月29日は、ルイキとアルベルトの誕生日でした。 偶然にも、ぼくがこっち来て一番世話になってるこの二人の若者は同じ誕生日なのです。 いつもあざす。そして二人の一年に幸あれかし。

DiaryPorto Velho

2015年3月29日

米朝師さようなら

米朝師が逝った。 もちろん残念なことではあるけれど89歳、大往生ではないか。 ざこばによると、上手な、キレイな最期であったという。何よりである。 自ら寄席に通うほど落語が好きになったのは東京に住んでからのことなので、個人的には上方落語より江戸落語のほうが馴染み深い。 多分、分量にしたら上方落語の100倍は聴いてると思う。 とはいえ元々出自が関西である私、上方落語と、その総帥たる米朝師へのリスペクトは忘れてないつもりだ。神戸に住んでた子どもの頃は、テレビや親の持ってたCDなどで、よく聴いてたものだ。 米朝師、何より尊敬に値するのが、歴史に学ぶその姿勢だ。 今じゃちょっと想像できないけど、戦後上方落語は喜劇や漫才に押され風前の灯。 そんな中にあってその再興に尽力するとともに、多くの師匠方のもとに通い、すでに演じられなくなっていたいくつもの古典を発掘、現代に蘇えらせたのが米朝師だったのだ。(完全にネット情報からの受け売りだけど・笑) 愛弟子でありライバルでもあった枝雀師の芸が鬼気迫るほど熱気に満ちたド迫力の高座であるのに対し、米朝師のそれは何というかもう、流麗!めっちゃエレガント!!って感じなのだ。 私が稽古してる合気道で喩えていうなら、 米朝師が植芝盛平(合気道開祖)、 枝雀師が塩田剛三(養神館館長)。 何となくそんなイメージで捉えてんだよね。ちょっと違うか。 とまれ枝雀、志ん朝、談志そして米朝と、落語界は東西ともに大看板を皆失いましたね。 辛うじてあと存命なのは小三治師くらいでしょう。 帰国したら聴きに行きましょうね。 まだ帰国したくないけど、それは不可避な事柄のようなので、せめてそれを帰国後の楽しみの一つにしよう(笑)

Rakugo

2015年3月22日

五年目

そのときのことはまだ鮮明に覚えている。 翌月に控えたフィリピン出張について伊藤道雄さんと、彼の率いるACC21のオフィスで打ち合わせをしていたのだった。 ソッコーでオフィスの外に出たら、目の前の高層ビルがぐわんぐわん揺れていた。 一緒に打ち合わせをしていた同僚がそこから徒歩圏に住んでいて、その日は彼女の家に泊めてもらった。 本来の職場である都心のビルの37Fにいた他の大多数の同僚たちは帰宅難民となって、オフィスで夜を明かしたという。 それから二年、仕事として震災支援に携わって何度も岩手と宮城と福島に行って、その後の二年はブラジルだ。 被災地で出会った人びとは今どうしているのだろうか。 一年前と同じことを考えている。 気づけばもうすぐ帰国。

Diary

2015年3月11日

旅の本筋とは関係ない話 その4(リオデジャネイロ)

リオデジャネイロはとっても良かった。 サンパウロ、クイアバ、カンポグランジ、パンタナウ、ボニート、クリチバ、イグアス、サントス、マナウス、ブラジリア、ポルトアレグレ、グラマード、フロリアノポリス、レシフェ、オリンダ、サルバドール、ベロオリゾンチ、オーロプレット、そして普段住んでるポルトヴェーリョと、思い返すにこの一年半で結構いろいろな街を訪れたものである。 でも、中でもリオは歩きがいがあるのだよ。 さすが、『地球の歩き方』ブラジル編でも最初に紹介されてるだけはある(笑) どうにかして近い将来住めないものか。 今回の滞在期間は5日間。 この間、ブラジルが世界に誇る魅惑の海岸群や、 奇岩ポン・ジ・アスーカルや、 フットボーラーの聖地マラカナンや、 その他教会や修道院やカテドラルや宮殿や公園や階段や劇場や博物館や美術館などなど、 目ぼしいとこはしらみつぶしに訪れた。 って、これだとただの自慢にしかなりませんね。 がしかし。 唯一肝心なところでしくじっちゃったのであるよ。 そう、紛うことなきリオのシンボル、コルコバードの丘! せっかくの絶景のはずが、、、 (↑ Wikipediaさんより) 何やこれ!超曇天で全然見えへんぞ!! キリストさんも下の景色も(T T) その上、人、人、人。ちょっとでも雲間からキリストさんが見えたらここぞとばかりにセルフィーしようとみんな場所を陣取りまくる。 (ほんとこちらの人たちはセルフィーが大好きだ。) でも結局、雲が途切れる瞬間はほとんど訪れなくて、下山しようとする人全然いないから、さらに人は溜まる一方。まあ、間違いなく私もその一員だったわけだが。 まともに身動きとれず。 これは、この5日間効率的なプランを重視し、ここへの訪問を最終日に取っておいた私に全て責任がある。 何を差し置いてでも、ここは初日に行くべきであった。 そしたらその日曇天でも人多くても、これを反省として活かし、また別の日に行くオプションも検討できたのだ。 ああ残念すぎる。それ以外は最高だったのに。 画竜点睛を欠くとはまさにこのことだ。 というわけで、今後リオのコルコバードの丘を訪れる予定の方。 一日だけを狙い打ち、というリスキーなスケジューリングは控え、余裕をもった日程を組んだ上で、 できるだけ早起きして朝一で!(昼になると像が逆光になる上、人多すぎてどうしようもなくなる) かつ晴天の日に!!(曇天や雨天だと、何も見えずに魅力半減どころか1/100減である) 行かれることを切にお勧めする。 Boa Viagem na Cidade Maravilhosa!!! Photos: 2014/15 VIAGEM-7 / Rio de Janeiro 2014/15 VIAGEM-8 (fim) / Manaus

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2015年2月20日

旅の本筋とは関係ない話 その3(マチュピチュ)

今回旅のハイライトはマチュピチュであった。 同じく観光地でも、リオはしばらく住みたいと思った。 マチュピチュは別に住みたいとは思わない。 がっつり一回行けば充分かなと。でも逆に言えば、一回は見といて損はないで。ほんま。 運も良かった。 マチュピチュには3泊して、遺跡には2日行った。 1日目は見事に晴天。隣に聳えるワイナピチュから見下ろす遺跡群は絶景であった。 2日目はしっとりと雨。それはそれで見応えあった。 両方の表情が見られて大満足だ。 でもこれは結果論であって、もしスケジュールがもっとタイトで、2日目の雨天しか経験できてなかったとしたら大いに不満が残ったに違いない。 やはりまずは晴れのマチュピチュを経験するに越したことはない。 というわけで、マチュピチュを訪れるなら最低2~3日、余裕をもって行くことをお勧めする。 で、今回の本題はそんなことじゃなくて、マチュピチュに関するもう一つのポイント。 すでに有名な話らしいけど(って、私は予備知識なしに行ったんで知りませんでした)、 マチュピチュには温泉が存在するのである!!!! 日本を出国すること一年半。 ブラジルでは湯船につかるという習慣が皆無なので、まさに一年半ぶりのお風呂を満喫したぞ! 日本人の感覚からすると結構ぬるめなのだけど、それでもお風呂であることに変わりなし。 まさに天国であった。思わず2時間くらい居座っちゃったよ。 にしてもよ。 行ってみると、観光客はもちろん地元の人と思しき客も結構いて賑わってるわけ。 やっぱみんなこれが気持ちいいと感じるし、間違いなく大好きなのだ。 でもなんでそこから、シャワーだけじゃなく湯船も家やホテルにも取りつけようって話になんないのかね。 一番手っ取り早くて最上な癒しだと思うんだけどなあ。不可解や。外でみんなで浸かる、ってことに意義があるんかしら。 世界に広めようお風呂文化。 Photos: 2014/15 VIAGEM-5 / Cuzco 2014/15 VIAGEM-6 / Machu Picchu, Huayna Picchu  

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2015年2月14日

旅の本筋とは関係ない話 その2(デングと落語)

そういえば前回、旅で遭遇したアクシデントの中で、一番どデカい出来事を挙げるの忘れていた。 出発早々にノルデスチで、日本でも猛威を振るったというデングに罹っちゃったのである! やられたのはレシフェ、発症はサルバドール。 確かにレシフェではやたら蚊にかまれるなあとは思っていたのだ。 でもブラジルだし、ここポルトヴェーリョでもいつもかまれてるし、大したことないだろと思ってタカをくくってたのだ。 甘かったね。 レシフェからの移動中からだんだん体調崩し、サルバドール着く頃にはすでに瀕死の状態。 普通の風邪とか、あとちょっとしんどいインフルエンザでもまあ2~3日寝てりゃだいたい治るじゃない? デングは違う。 全身だるだる感、頭痛、関節痛、(途中から)発熱、(おれの場合は上半身のみ)発疹、、、この耐え難き苦痛がなんと一週間以上続くのだ!! もう途中から、この苦しみから解放されるなら死んでもいいかな、てかほんま死にたい、と半分本気で思えてしまう驚愕の破壊力よ。 朝眠りから目覚めたときに、まだ治ってないと悟ったときのあの絶望感ったらないね。 今日も一日、この苦痛とともにあらねばならんのか、という。 おかげで、楽しみにしてたサルバドール、ベロオリゾンチ、オーロプレットあたりは半分くらいしか満喫できてない。まあ、死にかけながらも意地で街中は歩き倒したけどね。 で、ここからが今回の本筋とは関係ない話の本題なんだけど(ややこしいな)、いくら街中見て回っても、あの体調じゃ無理あるんで、不本意ながらどうしてもホテルの部屋に籠る時間も多くなる。 かといってずっと寝てるのも限界あるし、せっかくいろいろ本持参してたんだけど読む気力も起こらんし。 そんなとき、改めて落語はええのう、ということを言いたいのだ。 YouTube流しっぱなしにしといて、適当に笑い転げときゃいいんだからいやほんと、こんなお手軽気楽な暇つぶしほかにないよ。 いろいろ寄り道もしたけど、最近はベタに志ん朝、市馬、喬太郎、一之輔あたりのヘヴィローテーションに落ち着いている。 中でも志ん朝はほんま抜群にスゴいな。どれ聴いても外れなし。 https://www.youtube.com/watch?v=pZbp9T0WaMA&feature=emb_logo そして折しも私がデングになりかけてたそのさ中、数年来一之輔のプチ追っかけをしているかつての同僚KIからこんな動画が送られてきた。 https://www.youtube.com/watch?v=Zqu-g1SZMaU&feature=emb_logo おおお。まさかのユニクロCMとは! 二つ目時代から落語界期待のホープであった春風亭一之輔師。 かつて海外に赴任する友人へ、日本土産にと師のCDをプレゼントしたのも良い思い出である。 当時はちょっと知る人ぞ知る感じが我ながら渋いとこ突いたチョイスやんと悦に入ってたんだけど、真打ち昇進後2年余りにしてはやお茶の間の誰もが知る存在となるか。 これで一之輔師は、人間国宝にまでなっちゃった米朝師や小三治師は除くとしても、 存命の中で最も一般に知られた噺家に駆け上がっちゃったことであろう。(あ、あと笑点メンバーも除く。笑) 最近のテレビの影響力は知んないけど。 無駄に複雑な気分である(笑) 私も、いつまでもこうしてくすぶってるわけにはまいりません。 Photos: 2014/15 VIAGEM-3 / Belo Horizonte, Ouro Preto (e São Paulo) 2014/15 VIAGEM-4 / Encarnación, Asunción

JourneyPhotoRakugo

2015年1月28日

旅の本筋とは関係ない話 その1(Booking.com)

遅ればせながら明けましておめでとうございます。 35日間の楽しい楽しい旅行を終え、我が街ポルトヴェーリョに戻ってまいりました。 途中、悪天候でフライトがまさかのキャンセルになって某都市で一泊足止め喰らったり、ネットで予約したはずの航空券が取れてなくてその場でバカ高な正規料金払う羽目になったり(損失額約5万円)、雨の中でも調子こいてカメラぱしゃぱしゃ撮りまくってたらさすがにぶっ壊れちゃったり(二日後不死鳥のごとく復活。Panasonicやりよる)。いくつかのアクシデントはあったものの、まあこうして無事に帰ってこられたのが我ながら何よりや。 ブラジル国内でいえばノルデスチやリオデジャネイロ、国外では人生最初で最後の訪問になるやもしれんパラグアイ、お待ちかねのマチュピチュなどなど、愉快なネタはてんこ盛りなのだけど、まあそういうプチ自慢みたいなことは置いといて、ここでは旅の本筋とは関係ない話を何度かに分けてしたいと思う。今日はその1である。 まずもって私は大いに強調したい。 Booking.comは使える!!! (決して回し者ではありません) 前々回も前回も今回も宿泊は、友人宅に泊まらせてもらったり友人に取ってもらったりした所以外、Booking.comのお世話になってる。 基本前日までキャンセル料取られないみたいだし、何かと使い勝手良いのよ。ざっと立地と値段で選んだ候補の中から、適当に雰囲気でさらに絞って、あとは高評価なとこをさくさく決めてくのだ。 特に今回、泊まったホテルでただの一つも外れはなかったなー。どころか、ことごとく大正解だった。 考えてみれば、レストランガイドである食●ログとかぐ●なびとかだと、味覚ってそもそも主観的な部分もあるし、何かの気まぐれで材料とか手間とかケチればダイレクトにクオリティに跳ね返ってくるから、いざ行ってもその評価ってあんま当てになんないことも多い。その点ホテルって、基本的に立地と設備とホスピタリティでほぼ全てみたいなとこあるから、ここに載ってる評価ってかなり信憑性高いと思うんだよね。ってか、その正しさを改めて実感したのだ。 逆に言えば、同じような価格帯で評価が異なるホテルが複数あれば、みすみす低評価のとこ選ぶ人もそんないないだろうから、そういうとこって大変なんだろなーといらん心配してしまうよ。 こんなサイトがないときは、ホテルの当たり外れも運次第で、それが旅行の一つの楽しみでもあった気もするのだが。とはいえ今さら後戻りもできんしな。 ないものねだりは恐ろしい。ではまた。 サルバドールはここ 、とっても良かったですよ♪ Photos: 2014/15 VIAGEM-1 / Recife, Olinda 2014/15 VIAGEM-2 / Salvador

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2015年1月23日

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