最近また腰痛が再発して、整体に通っている。QOLだだ下がりである。
まともにお稽古できる状態ではないので、合気道も休会しているくらいだ。
加えて、何なんでしょう。単純に集中力の低下?睡眠欲の増進??
要するに、二時間身じろぎもせずにじっとしているのがいろんな意味で大変なので、最近映画館に足を運ぶ機会がとみに減った。
そんな中でも「これは」と思う映画は見るようにしてるのだが、今回たまたま目にした戸田真琴さんのレビューにも触発され、文字通り重い腰を上げて行ってきたのである。
で、どうせ見るならと、入江悠監督と主演の河合優実さんの舞台挨拶の回に狙いを定めて行くところが私のミーハーなところである(笑)
期待を裏切らない作品であった。
内容については多くの人が語っているのでそちらを参照。
あんを演じる河合優実さんは、素晴らしい演技だったと思う。
(今ブレーク中の女優さんらしいのだが、世に疎いので初めて知った…)
あんを救済しつつ、一方で裏の顔を持っていた刑事の多々羅(佐藤二朗)も、良いか悪いかは別にして(いや、もちろん良くはないんだが)、人間ってそういうとこあるよね、と却ってリアリティを感じる。
多々羅のスクープを虎視眈々と狙いつつ、一方で親交を深める雑誌記者・桐野(稲垣吾郎)も、人間臭くてよい。
あんの母親すら、一貫して胸糞の悪い描かれ方ではあるものの、世の中にはこういう毒親もいるんだろうな、と妙に説得力がある。
わざわざ行く意味のあった傑作、ということを前提として、その上で敢えて言いたい。
私が唯一腑に落ちなかったのは、あんが身を寄せるシェルターの隣人、三隅紗良についてだ。
自らの幼い息子を、何のフォローもないままやたら身勝手な形であんに預けて長くほったらかしにしておきながら、最後に取り戻した際には「この子が無事だったのはあんのおかげ」と、あんを悼み、聖人君子みたいな顔して息子を慈しみながら物語は幕を閉じる。
うーん。子供なんてどうでもいい!というスタンスの毒親であるなら、あのエンディングにはなり得ない気がするし、かといって一時的な気の迷いで突発的に預けてしまったのだとしたら、あんな長期にわたって(あんが彼の性格や好みを完全に把握するほど)放置することはないだろうし。
このキャラクターだけはちょっとご都合主義的というか、造形が雑というか、「そんなやつおるか??!!」感が拭えないのであった。我が人生経験と人間理解の浅さゆえであろうか。
あるいは、どこかに私の見落としている伏線が張られていたのだろうか。
諸賢のご教示を乞いたいところである。
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