米朝師さようなら

米朝師が逝った。
もちろん残念なことではあるけれど89歳、大往生ではないか。
ざこばによると、上手な、キレイな最期であったという。何よりである。

自ら寄席に通うほど落語が好きになったのは東京に住んでからのことなので、個人的には上方落語より江戸落語のほうが馴染み深い。
多分、分量にしたら上方落語の100倍は聴いてると思う。

とはいえ元々出自が関西である私、上方落語と、その総帥たる米朝師へのリスペクトは忘れてないつもりだ。神戸に住んでた子どもの頃は、テレビや親の持ってたCDなどで、よく聴いてたものだ。

米朝師、何より尊敬に値するのが、歴史に学ぶその姿勢だ。
今じゃちょっと想像できないけど、戦後上方落語は喜劇や漫才に押され風前の灯。
そんな中にあってその再興に尽力するとともに、多くの師匠方のもとに通い、すでに演じられなくなっていたいくつもの古典を発掘、現代に蘇えらせたのが米朝師だったのだ。(完全にネット情報からの受け売りだけど・笑)

愛弟子でありライバルでもあった枝雀師の芸が鬼気迫るほど熱気に満ちたド迫力の高座であるのに対し、米朝師のそれは何というかもう、流麗!めっちゃエレガント!!って感じなのだ。

私が稽古してる合気道で喩えていうなら、
米朝師が植芝盛平(合気道開祖)、
枝雀師が塩田剛三(養神館館長)。

何となくそんなイメージで捉えてんだよね。ちょっと違うか。

とまれ枝雀、志ん朝、談志そして米朝と、落語界は東西ともに大看板を皆失いましたね。
辛うじてあと存命なのは小三治師くらいでしょう。
帰国したら聴きに行きましょうね。
まだ帰国したくないけど、それは不可避な事柄のようなので、せめてそれを帰国後の楽しみの一つにしよう(笑)

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えんたく(Entak)

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