FACCIA DI CANE
前回に続き、最近おもひでぽろぽろ状態である。 今回見つけたのはこれだ!! FACCIA DI CANE https://www.youtube.com/watch?v=dHsBuIP6lZ0&feature=emb_logo そう、WOWOWスーパーサッカーのエンディングテーマだったのである。 当時我が下宿には衛星放送なんてないので、週末部活終わりによく友人宅で見てたものだ。 この曲に合わせて、その週のセリエAのゴールシーンがダイジェストで映し出されるのだ。 毎度、スーパーなゴールの数々に心躍らせたね。 それらの映像とこの曲があまりにハマりすぎてたことに敬意を表し、普段レンタルで済ませてたCD、このときばかりは身銭切って買った記憶あるぞ。そうそうこのジャケットよ。意味も分からんままに、必死で歌詞をノートに書き写したものだ。 今や本田のいるミランも長友のいるインテルも、一昔前からは考えられないほど凋落しちゃってるが、私が中学高校の頃、ワールドサッカーの最高峰といえば、スペインのリーガでもイングランドのプレミアでもなく、イタリアのセリエAだったのである。 セリエAでは、1980年に長年制限されていた外国人プレーヤーの参入が復活。 82年には八百長による謹慎処分明けのパオロ・ロッシを擁し、イタリアはW杯を制した。 80年代前半、何と3年連続でセリエA得点王&バロンドールを獲得したユーベのプラティニ(現UEFA会長)。 次いで南部の弱小クラブ・ナポリに2度のスクデット(87年・90年)をもたらし史上最高の天才マラドーナ。 我らがブラジルのジーコやファルカン、カレカらの活躍も忘れてはなりませんね。 80年代末から90年代初頭にかけては、オランダトリオ(グーリット、ファン・バステン、ライカールト)のミラン、そしてドイツトリオ(マテウス、ブレーメ、クリンスマン)のインテルがリーグを席巻した。 私がこの番組を見ていたのは、こうした時代を経て、90年代の前半から半ばにかけてだ。 そりゃプラティニやマラドーナ、ファン・バステンら突出したスターに比べれば個々のスケールが小粒になった感は否めないものの、その分多くの個性的で魅惑的なプレーヤーが輝きを放ち、セリエAはまさに百花繚乱の時代を迎えていたのだ。 ファンタジスタの代名詞とも言えるR.バッジョを筆頭に、サヴィチェヴィッチ、ヴィアリ、シニョーリ、ゾラ、マンチーニ、そして怪物グーリットもまだまだ健在。この曲を聞くと、当時の興奮がありありと再現されるのであるよ。今は亡きジャンルカ・トト・富樫こと富樫洋一氏とか、懐かしすぎる。 と、引き続きネットでだらだらしてたら、こんな記事を発見。 【セリエA エンディング曲】 FACCIA DI CANE を聴いてみた! いやー、同じ体験を共有し、同じこと思ってる人っているんだねーやっぱり。
2014年3月31日
Everybody Wants To Rule The World
中高時代、広島で下宿生活を送っていた。 何度か下宿先を変わったのだが、自室にテレビ設置OKのところもあれば、共用スペースのみでしか見られないところもあった。そんなとき、好みの合わない先輩がそのスペースを占拠なんかしてたりすると、私はもう一人で部屋に閉じ籠もるしかない。 おかげで本や漫画をひたすら読み耽るという現在も続く根暗な趣味、というか暇つぶしを得たのは今にして思えば幸運だったのか不運だったのか。給料大して高くなくて時間もないくせに、ちょっとでも面白そうな本を見れば買い漁らずにはおれず、結局部屋のスペースがないほどに積読の山が増えていって金欠だけは変わらず、というのは悪癖というか、むしろ不運な出合いだったともいえるのではないか(笑) そんなどうでもいい前フリはさておき、当時テレビが自由にならない私にとって、本や漫画と並んで限りない刺激と悦楽を与えてくれたのがラジオだったのだ。 ベタに「オールナイトニッポン」とか初期の「ミリオンナイツ」とか夜更かししながら毎日のように聞いてた記憶あるよ。 これら全国区の番組とは別に、当時広島ローカルで毎日やってたのが「びしびしばしばしらんらんラジオ」(通称びしばし)。 今となってはパーソナリティの一文字弥太郎さんや、ゲストの方々のノリのいいボイスの雰囲気くらいしか記憶になくて、内容は何も覚えてないくらいだから、さぞかし他愛もない番組(笑) でも、たとえ暇つぶしであったとしてもほぼ毎日日課のごとく聞いてたわけだから、多分それなりに楽しんでたのだ。うん、その安らかな感触も朧げながらまだ残ってる。 なんで久々にこの番組のことを思い出したかというと、この番組には地元の女子大生の皆さんが曜日毎にレギュラー出演してたのだけど、数年前その一人とひょんなことで仕事で知り合ったからなのだ。 今は東京を拠点にいろいろアクティブに活動してるおもろい人なんだけど、お互い広島に縁があるってことで何気なく話を進めていると、同じ時期に広島いたんだねってことになって、びしばしってラジオがあったねってことになって「びしばし聞いてた(おれ)」「びしばし出てた(その人)」「ええーーー!!(双方)」ってな展開になったわけ。柄にもなく、いろんなところで思いがけない縁がつながっとるのーと思っちゃったわけよ。 で、なんで今更こんなネタかというと、現在の不安定なネット環境の中、何の加減かごくたまーに動画漁りができるくらい調子いいときがあって、偶然この音楽に再会したからなのだった。 https://www.youtube.com/watch?v=aGCdLKXNF3w&feature=emb_logo Tears For Fears, Everybody Wants To Rule The World 当時ネットもないし、ラジオから良さげな音楽が流れてきたらテープやMD(これも懐かしいな)にせっせと録音するという涙ぐましい作業を続けてたのだけど、この曲、というよりたまたまこの曲が収録されたテープにはお気に入りの曲が詰まってて、擦り切れるほどに聞いてたよな、と。で、おそらく15年ぶりくらいに聞いたこの曲で、見事に中高時代のあの一人部屋とラジオの記憶が呼び覚まされた、というわけなのだよ。 十代で鬱屈とした頃もあって、あの時代に戻りたい、なんて別に思わないけど、それはそれでいろいろ楽しいこともあったもんやのう、という両義的な思いが交錯する。
2014年3月18日
震災のこと
3年経ちましたね。 FBのタイムラインとかニュースサイトとか、あの震災に関する投稿や記事が続々と流れてくる。 震災後、職場の中で被災地支援のためのプログラムが組まれ、形ばかりのリーダーとなった。 被災地に何度も足を運んだ。助成金という名目でお金を届けるという仕事の性質上、現地の方々から感謝の言葉をかけていただく機会もよくあった。 そんなとき、多少なりともお役に立ててこちらこそありがたいなあと思う一方、おこがましいというか何というか、ちょっと気まずいような、決まってそんな何とも言えない気分にもなったものだった。 そもそもそれらの金は自分の金じゃないので、端的に言えばそれは私への感謝ではない。私の背後にある某巨大スポンサーへの感謝である。当たり前だけど。 もちろんお金を受け取る側からすれば、直接の担当者である私に謝意を伝えるのは自然なことかもしれないのだけど、私が個人として直接被災地や被災者の方々のお役に立つようなことをしたわけでもないわけで、どこかうしろめたいような、そんな気分になってしまうのですね。自意識過剰か。 その頃被災地に駆け付けた善意と情熱に支えられた多くのボランティアの方々と異なり、 私はあくまで組織人として、仕事として支援に携わっていた。理由は、職場でその担当を命じられたから。それ以上でもそれ以下でもない。当然所定のお給料を貰いながら。もちろんやるからにはそれなりに使命感もってやってたとは思うけど、間違っても他人様から感謝されるような、そんな偉そうな存在ではないのだ。 現にその担当から外れた現在、こうしてブラジルでぷらぷらお気楽な生活してるわけだしね。 当時も今も、文字通り一番考えさせられるのはこの記事だ。(いろんなとこで何度も引用してるけど) 『考えさせられる。』 何をすりゃいいんでしょうね。 もちろんやたらシニカルに構えるつもりはないのだけど、かといって必要以上に大仰に構えてもしゃーない。自分にできることを淡々と、ですね。
2014年3月12日
雨季の暇つぶし
マデイラ川氾濫 雨季真っ只中である。20年ぶりというマデイラ川の氾濫が大変なことになってる。 https://www.youtube.com/watch?v=EgGjXOrsJnw&feature=emb_logo なので外でサッカーなんて天気の良いピンポイントな時間じゃないとできないし(ブラジルなのにサンパウロやリオと比べこの街でいまいちサッカーが盛り上がらないのは、この「雨季がある」ってことと無関係じゃないんだろね)、セントロ(中心部)まで買い物行こうと思わないし(結構距離あるから、わざわざ友達に車出してもらわないと行けない)、相変わらずネット不安定だし、テレビも映り悪いから全然見なくなったし。 結局暇な時間はひたすら家に籠って、先月リベルダーヂでしこたま購入したDVD見たり、日本から送った本や漫画を読んだりしてる。他に選択肢がないからとはいえ、それはそれで至福の時間だ。この先も、これだけして生きて行けるならそれもありだなと思っちゃうよ。 ここ最近で見たり読んだりしたものの中から、印象に残ったものをご紹介。備忘録代わり。まあ、他に何もしてないからネタがないだけってことなんだけど。 『桐島、部活やめるってよ』(2012年) 小説(2010年)のほうは既読だったんだけど、映画は未見であった。 小説では登場人物ごとの視点で章割りがなされてるのを、うまく映像に落とし込んでたと思う。 すでにいろんなレビューでも語り尽くされてるけど、クラスの成員が上から下まで階層化されてて、それぞれが全く異なるレイヤーを生きてるというあの感じ。んで、ふとしたきっかけで異レイヤー同士が交じっちゃったらたいていロクなことが起こらないという。いろいろ思い出すこともあって、リアリティあるなあ。 女子生徒の子たちが、マドンナ役も含めてみんな特別美人というわけじゃないというのも良かった。ほんと普通に高校いそうな感じ。配役に関して唯一言うなら、近ごろ杏ちゃんと噂になっているという東出昌大くんであろうか。ちょっと年齢的に無理があるというか、さすがにこんな高校生おらんやろ、と笑ってしまったよ。 『八日目の蝉』(2011年) こちらも小説(2007年)は読んでたんだけどね。この辺、時期的にバタバタしてて見てない映画多いね。 これも名作やわ。ええわ。 何がええって、永作博美さんの演技に心打たれましたね。 お子さんをお持ちのお母さん方は、森口瑤子さんのほうに涙するんでしょうね。 『乱』(1985年) あの黒澤明をして、自らのライフワークと言わしめた大作。 前作に当たる『影武者』のほうは、テンションの高さがちょい空回り気味の感があったのだけど、こちらのほうはさすがに見応えありました。シェークスピア『リア王』を下敷きにした戦国絵巻。 でも後半、秀虎(中代達矢)が狂阿弥(ピーター)とともに荒野をさまようのだけど、あんな状況で気が狂っちゃった秀虎の下の世話はどうしてたのかなとか、さぞかし異臭放ってたんだろうなとか、何日もさまよってた割には秀虎の純白衣装やたらキレイなままだよなとか、そんなところでケチをつけてしまうのはただのひねくれであろうか。リアリティには徹底的なこだわりを見せた黒澤監督、であるからこそついそこまでのレベルを求めてしまうのであるよ。 『ガダラの豚 1~3』(1993年) あーおもしろ。 中島らもさんって、ほんとサービス精神旺盛な人ですね。 『風の谷のナウシカ 1~7』(1982~1994年) 改めてこれは凄いな。 既読であったのだけど、もう20年前のことなんで、もう一度読もうと思って持ってきてたのだ。 さすが10年以上にわたって描き継がれてきただけのことはある。 その思想の賛否はさておき、よくもこれだけの世界を創りあげたもんだわ。そりゃ2時間尺の映画では描き切れんよね。この漫画版のナウシカが、彼の作ったどのアニメ作品をも凌ぐ代表作と言えるのではないだろうか。人物造型がちょっと紋切り型なきらいはあるのだけど、ところどころにそこから脱線する部分もあって、大いに楽しめたのでした。 それではまた。
2014年2月27日
Feira Cultural
2014年2月15日、Feira Cultural(文化祭)。 みんな、いい顔してるね! Photos:Feira Cultural 来週以降こそは、ついにプロバイダの契約変えられるかもしれなくて、ネットの調子が劇的に良くなるかも、という期待だけは膨らませておく。
2014年2月17日
『東京ラブストーリー』ふたたび
見てしまったよ。 パタゴニア道中、同行のしもみーからお勧めのドラマを聞かれたので間髪入れず「東京ラブストーリー!」と答えた。 彼は見たことなかったらしく、さっそくiPadに全話ダウンロードして見始めた。 隣でそんなことされると、こちらもまた見ずにはおられないではないか。その後拝借して、サンパウロへの帰路で全部見てしまった。一体何度目であったことだろう。 かつて私が人生で初めて最初から最後まで見通した連ドラであり、この分野において未だ本作を超える作品に出合っていない。 ま、冷静に見ると、どこが魅力なのかよく分かんない田舎出の冴えない青年カンチと、そんな彼をこれでもかというくらい執拗に追い回す非モテコミット全開の痛い女リカのお話で、演出的にもんなアホなって部分は多々あるのだが(最終回冒頭、リカの三たび振り返りながらの登場シーンとか)、それでもこのドラマの魅力は尽きることがないのであるよ。 何より23年前の鈴木保奈美が輝きすぎて眩しすぎる。 (ついでにこの前年に準主役として出てた『恋のパラダイス』も、はっちゃけててお勧め!一説にはこれがもとで本作の主演も射止めたとか) 10才ちかく歳の違うしもみーにとって、これまで鈴木保奈美は「たまにドラマに出てるキレイな女優さん」そして何より「石橋貴明の嫁さん」という程度の認識しかなかったらしい。初めて彼とのジェネレーションギャップを感じてしまったよ(笑) 最終回の電車内での号泣シーンは何度見ても泣ける。 何て切ないんだ!!と子供心に思ったものだ。 放映当時小学生だった私は、今やカンチやリカの歳などとっくに超えてしまった。 「昔っから光陰矢のごとしなんという言葉がありまして、これはどういう意味かというと、光陰というものは矢のごとしだなあ、という意味だそうですナ」(古今亭志ん朝) 改めて師匠深い!!シェークスピアにだって負けてません。 "O Romeo, Romeo! Wherefore art thou Romeo?……"
2014年1月30日
センチメンタルな旅・夏の旅
昨年12月半ばから先週末にかけて、「四十日間南米半周」と勝手に銘打った旅から帰還したよ。 やっぱ旅はええのう。 前半は久々の一人旅だったのでセンチメンタルに、後半は友達と合流して夏の南半球を賑やかに回る、というコンセプトだったのでアラーキーに肖った表題のネーミング、我ながら上手いじゃんと思って掲げてたのだけど、ググってみたら何のことはない、すでにみんな使ってるのね。おお恥ずかし。 旅中ずっとカメラ首からぶら下げてたし、一度くらい災難に遭ってもしゃーなしやな、と覚悟していたのだけど、結局拍子抜けするほどスムーズに事が進んでしまった。 事前に想定してたルート、ほぼつつがなく回れたし。ラッキーだったね。 唯一想定外といえるのが、途中で写真と保存してた外付けハードディスクがぶっ壊れちゃったことね。さすがに焦ったけど、これもサンパウロで修理してもらって無事直りました。 で、この四十日で新たに溜まった写真、約10000枚。 一日250枚ってところか。そう考えると大した量じゃないな。丸一日バス移動のみって日とか、ひたすら眠りこけてた日もあったから、まあこんなもんか。 移動に金かけた分、泊まりは安宿が多かったんだけど、それでもここポルトヴェーリョの我が家よりたいてい遥かにネット環境は良くて(笑)、嬉しくなって珍しくFBにこまめに写真アップしちゃったよ。 旅の全体像は、随時追加していく形で『センチメンタルな旅・夏の旅』にまとめた。 一つのテーマで枚数が多くなりそうなものに関しては、サブアルバムを作成することとし、それぞれ『CURITIBA NOBODY』、『Museu Oscar Niemeyer』、『Iguaçu!』、『Patagonia!』にまとめた。 荷物の容量の都合上、一眼レフもストロボも持って行けなかったのが残念。次回以降の課題としよう。 中学から家を出て一人暮らしをする、と親に宣言した小学生の頃から変わらず、こうしてプラプラプラプラしてるボヘミアンな生活が性に合ってるんだと改めて思った。 行きたいとこ行って写真撮って映像撮って、移動の合間に映画観て小説読んで漫画読む。このような極楽生活をこれからもできたらたまらんね。 何か今流行りのノマドみたいなこと言ってるな。それとはまたちょっと違うような気もするんだがね。その違いが何なのか、正解を私は分かっていると思う。でも多分それはとても身も蓋もない話だ。 俗物の塊である私に果たしてそれはできるのか。
2014年1月27日
旅行に持ってく本10選
というわけで明日から旅行で、これから荷造りするところだ。 ちゃんと前日にしようとするところが成長の証。笑 予備用のちっちゃいPCとUSBにかつて自炊した本1000冊分くらいデータ入ってるんで、活字に飢える、ということはまずないのだけど、それでも旧世代の私、旅中どうしても紙の本が恋しくなることもあるかもしれない。いや、きっとあるでしょう。 というわけで、日本から大量に送った蔵書の中から、かさばらずリュックに何とか入りそうな文庫を中心に、旅行のお伴に持ってく本を10冊選んでみた。(結局選び切れずに13冊になっちゃったけど) だから何、って感じなんだけど、一応記録に残しとこうかね。 『吉里吉里人 上・中・下』(井上ひさし) 一つくらいこってり長編を読もうかと。同じく三冊組の『死霊』(埴谷雄高)と迷ったけど、バス中とか飛行機中で、明らかにこっちのが読みやすそうだったから。 『卍』(谷崎潤一郎) 関西弁が恋しくなったときのために。てか、裏表紙見たらシンガポールの紀伊国屋の値札が貼られてる。めちゃ割高。かの地に住んでた10年前もそんだけ恋しかったんだなあ。 『ねじ式』(つげ義春) マンガも一冊。 『夜想曲集』(カズオ・イシグロ) 短編集も一冊。細切れな時間にちょうどよいよね。 『何でも見てやろう』(小田実) 紀行本その1。30代になって、かつ旅の途上で20年ぶりに再読したとき、果たしてどのような感興を催すのであろうか。 『マレー蘭印紀行』(金子光晴) 紀行本その2。南米の旅で、久しぶりに東南アジアに浸るというのもなかなか乙かなと。 『悲しき熱帯 Ⅰ・Ⅱ』(クロード・レヴィ=ストロース) 紀行本(と言えるのか??)その3。文庫サイズではないけど、やはりこれは外せません。 <番外編> 上記で10冊なのですが、結局絞り切れずに持ってくことにしました。 『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』(カート・ヴォネガット・ジュニア) 癒しでしょ癒し。 『伝奇集』(ホルヘ・ルイス・ボルヘス) 久しぶりにアルゼンチン行くし、そこは敬意を表さねばなりません。 『賭博者』(フョードル・ドストエフスキー) アルゼンチンにもチリにもカジノあるし。寄る機会あるかなあ。昨年マカオ以来の勝利目指すぜ! では皆さん、ちと早いですがよいお年を。
2013年12月13日
四十日間南米半周
ここブラジルでは、だいたい12月と1月の2ヵ月が夏休みとなる。 一応宮仕えの身、さすがに私自身が丸々2ヵ月休むなんてことはできそうにないが、6週間程なら何とかなっちゃう感じなのである。 そもそもここはサラリーマンでも1ヵ月の休みを取ることが普通、ってか義務(ほんまか?でも確かに僕のお世話になってるマリーザさんが言ってました)というようなお国柄。 それに倣って休むときはがっつり休む、というのもまたフィールドワーカーとして大切な心得でありましょう。 というわけで行ってまいります南米紀行。あー嬉し。 途中友人とも合流するのだが、せっかく今ポルトヴェーリョというマニアックな場所にいるので、前半は一人で、この地の利を活かしたルートを回ろうと考えた。 まずは14日、ポルトヴェーリョから飛行機で1時間半ほど南下し、クイアバというマットグロッソ州の州都に向かいます。(あ、そういえばここで来年W杯、日本対コロンビア戦が行われますね。ほんま近いんで、せめてここだけでもチケット当てたい…) そこからはそう、パンタナウ、ボニート、イグアスというブラジルが世界に誇る自然景観群を一捲りなのである!! といっても、パンタナウだけで日本の本州くらいの大きさあるらしいからね。一体どこ行きゃいいのって感じなんだけど、まあここはミーハー根性丸出しで雰囲気味わえればとりあえずよいかなと。 ちなみにクイアバ以降の移動は基本バスの予定。ブラジルの広さを体感しよう。 イグアスから友人4名と合流、ブラジル側・アルゼンチン側双方のイグアスを堪能した後、12月30日、ともに一路サンパウロへ。 翌大晦日はそう、お待ちかねのサンパウロマラソンである! たかが15kmの軟弱マラソンなのだが、この数ヵ月、我がアマゾンダイエットの大きなモチベーションであり続けてくれた。この落とし前、どうつけてくれようぞ。 さくっと完走して2013年有終の美を飾りたいと思っている。 んで、年越しはサントスにて花火と相成った。 次いで2014年元旦、7年ぶり2度目のアルゼンチンへ。 今回はブエノス滞在もそこそこに、南米大陸横断。 アコンカグアを横目に、メンドーサを経てチリはサンティアゴ到着。 しばし南下し、プエルトモンへ。 ここからは今回旅のハイライトの一つでもあるフェリーに乗船。 船から眺めるパタゴニアの氷河はいかばかりであろうか。 三日間の航海を経てプエルトナタレスで下船。 再びアルゼンチンに戻って、エルカラファテからサンパウロへ帰還。 本当はこんな計画なんかも立てず、出たとこ勝負で気ままに行けたらベストなのだけど、諸事情ありましてそういうわけにもいかず。 でもこうしていろいろ調べてると、楽しくって止まりませんね。 ※ おおよその想定ルート。
2013年12月11日
アマゾンダイエット
ブラジルに行ったら真面目な、そして人生何度目かのダイエットしようと思ってた。 でも最初に数週間滞在したサンパウロでは、いろいろ美味いもんとか誘惑ありすぎて結局好きなだけ飲み食いしてしまった。 なので、まともにダイエット始めたのはここポルトヴェーリョに移ってもろもろ生活が落ち着き出した8月以降、ということになる。当時体重83kg。 で、今日体重計ったらついに70kgを切って60kg台に突入。 4ヵ月で14kg。すなわち1ヵ月で3.5kg、1週間で1kg弱。 まずまずの成果ではなかろうか。 我がダイエットの理論的バックボーンは以下の二つだ。 『いつまでもデブと思うなよ』 以前も当欄で紹介した記憶があるが、これは良いよ。 生来不精な私、レコーディング(飲み食いしたものの詳細な記録)まではしてないんだけど、考え方とか大いに参考になる。 たまたま見つけたブログ こちらです。 この筆者のダイエット関連記事拾い読みしてくととても興味深いよ。最近個人的に関心を持ってる進化生物学的な知見も乙。どこまでホンマか知らんけど。 炭水化物ダイエットには賛否両論あるみたいだけど、個人的な実感にはとてもよく合致する。 ただ、私はこの筆者のように徹底的な炭水化物・糖質制限はできなくて、インスタントのラーメンやパスタは毎日のように食べちゃうし、ビールや酒もたまには飲まずにはおられないので、それほどドラスティックな変化を経験したわけではない。 まあそれでも、理論押さえて意識的に控えるようにするだけでも充分に効果はあるのだ。 ついでに上記二つ加え、他に効果を及ぼしたであろう項目としては、、、 一日とて途切れることのないこの熱帯の暑さ、そして(適度な?)仕事のストレス(笑) (※ 意外と仕事真面目にやってて、それなりに大変なこともあるんすよ私) うむ。これらを総称してアマゾンダイエットと命名することにしよう。 昔サッカー真面目にやってた頃のベストは62kgくらいだった。 でも、これだとちょっと痩せ過ぎで貧相な感じに見えちゃうし、歳相応に適度な貫禄も欲しいなってことで、今だと65kgくらいがちょうどいいんじゃないかなと思っている。 あと4kgか。 まあ、楽勝でしょう。 ていうか、何でこのネタって毎度嬉しげに自慢せずにはおれないのかね(笑) 我ながらその点については数年前から全く進歩しとらんな。
2013年12月5日
<写経シリーズ7> 彼らの時代は
「ああもう阿呆くさなるわ。電話かけても出えへんし、LINE既読になってるのに返信ないし。今日だってたまたまここで会わへんかったらそのまま音沙汰なしやったやろ。この二ヵ月ほんま苦しかってん。正直に言うわ、合コンは行った。一人とはチュウまでした。それはしゃあないやろ。だってそっちが連絡くれへんかってんもん。でもあかんわ。どうしてもお前がええわって思ってまうねん」 この人、何か一生懸命だなあとアズサは思った。あの日の一度きりのことがそんなに忘れられないのだろうか。酔ってたとはいえ、大したサービスをした覚えはないぞ。そんな相性良かったっけ。 「ごめんね、連絡できなくって」 「いや、あれからいろいろ考えてん。おれなりのケジメっていうかな。彼女とはもう何もしてないで。ほんでこの前正直に言ってん。他に好きな子ができたって。間違いなく運命やからって。ほんじゃあ散々言われたわ。馬鹿じゃないの、遊ばれてるだけに決まってるじゃん、とか。でもおれはそうは思わんねん。ちゃうか?」 「うん。そうだね」 「どっちの意味やねんなそれ!」 カオルはちょっと作り物なんじゃないかっていうくらい大仰に苦い顔をしている。君は歌舞伎役者か、アズサは心の中で突っ込み返す。でも思ったより面白い人かもしれないな。 「とにかくよ、おれはもう彼女とは別れた。フリーや」 「どうして別れちゃったの?」 「どうして!?」カオルのしかめっ面度がさらに増す。「ほんまええ加減にしいや自分。初めて会ったときから何回も言ってるやん。おれはお前に一目惚れしたんやて。いろいろムカツくことされても、っていうか何もされてないことがムカツくねんけど、それでもやっぱお前と付き合いたいと思うし、お前とやったらおれ、絶対上手くやってけると思うねんな」 こういうふうに何の衒いもなく、やたら自分を押し出してくる人ってたまにいる。彼のそういうところは素直にすごいなと感心した。 でも、こういう話を道端で立ったまま聞くと、彼の向かってくるエネルギーでアズサは思わず後ろに倒れそうになって、それでとりあえず駅に向かってまた歩き始めた。
2013年11月30日
近況など
先日テレビに出たぞ。 ちなみにGloboというのはここブラジルで最大のテレビ局です。 これはそのローカル版やけど。 この日のイベントでは、他にも書道とか折り紙とか盆踊りとかいろいろやったんだけど、やたら合気道推しな感じだな。やっぱテレビの画的にはそういうのがいいんかしら。 私としては、自分レベルがこんなところでエラソーに講釈垂れるだなんて相当おこがましいよな、という自覚は充分にあるのだが、この街で他に有段者なんて何人もいないし(私の知る限りあと二人)、まあこれをきっかけに興味を持ってくれる人が増えたらいいな、という程度の軽いノリでやってみたのだ。 おかげさまで、「私も合気道始めたい」とか「うちの道場にも教えに来てくれ」とか、結構オファーあるのだよ。はっはっは。 ブラジル行きゃもう毎日サッカー三昧やろ、と思ってたのだけど、意外にもユニフォームより道着を着てる頻度のほうがはるかに高い。 どこで何が幸いするか分からないものです。 さて、ここのところネット環境が随分マシになった。 相変わらず遅いは遅いんだけど、ちょっと前までみたいに、一画面切り替わるのに30分かかるとか、そんな極端な状況ではなくなったので、まあ良しとする。 ちょうど11月になったくらいに良くなったので、もしかして月ごとの契約と何か関係あるのか、 ていうか例えば8月・9月と使いすぎたせいで10月に何かしら制限かけられてたとか、 そういうことなのかなあ、と勝手に推測。まだまだ未知よのう伯国。 こんなことでストレス溜めるくらいならいっそのことネットと無縁の生活を送ってみるというのも手かな、とも考えたけど、いや今月に限ってそれはできんと一瞬にして思い直す。 なぜなら今月は、来月に控えた旅行の準備を存分にしなければならないからなのであーる!!! 楽しみすぎる。 詳細はまた次回。 完全な自己満足やけど。 そういや、この前知ったけど、いいとも終了するらしいね。 偉大なエンターテイナーに敬意を表して。 https://www.youtube.com/watch?v=m_lR-FIC_Wk&feature=emb_logo
2013年11月4日
秋刀魚
先週はサンパウロで過ごしていました。 たった3ヵ月ぶりだけどやたら懐かしい。 会議続きでせわしない滞在だったのですが、それでも友との再会と和食と中華と日本酒に癒されました。 てか、みそ汁ってほんと美味いね。 あとは天気の違いを実感しましたね。 ここポルトヴェーリョは雨季ながら相変わらず暑い。年中暑い。 一方サンパウロはちょうどいい感じ。驚いたことに冷房なくてもいけるくらい。 そして日本は今、秋真っ只中であるそうな。 7年半前、社会人になって東京に戻ってきたとき、最初に住んだのは目黒だった。 職場の新宿から適度に離れててでも適度に近くて、便利だけど静かでそれなりに面白くて、という何とも優柔不断な条件の中で選んだのがこの街だったのだ。実際その判断は正しかったと思う。 で、秋の目黒といえば何てったってさんま祭りなのである。 気づけば今年のもう終わってるじゃん。 住んでた頃は、毎年ありがたくいただいたもんです。 このお祭り元になったのはご存じ『目黒のさんま』。 世間知らずな殿様を嗤う滑稽噺だ。 お勧めは何と言っても十代目金原亭馬生師匠。 https://www.youtube.com/watch?v=4cZWRuybR30&feature=emb_logo ちなみにこの人、父が志ん生で弟が志ん朝(ついでに娘が池波志乃でその旦那が中尾彬)。 父や弟みたいに派手な艶やかさはないものの、どの噺聞いても渋くってさり気なくって、何か、とっても良いなあと思うわけです。 あのサゲの言い回しなんて秀逸過ぎではないですか。 今年はおそらくさんまを食すことなく暮れるだろう。 でも僕は、某国にて破格値で購入した小津安二郎全集をこの地に持ち込むことを忘れてはいない。 今夜はアマゾンの豪快な雨のなか、お部屋の中でしっぽりと、さんまの代わりに『秋刀魚の味』を味わったのであった。 んじゃまた。
2013年10月30日
Todo sobre mi madre
私の誕生日は2月23日である。 思い返せば今年のその日、プレゼントにと同僚KIから贈られたのがこのDVDであった。 『オール・アバウト・マイ・マザー』 いちおう誕生日プレゼントのはずなのに、なぜか中古で買ったものをくれちゃうあたり、忌憚のない愛情が感じられて嬉しいではないですか(笑) 早く観よう観ようと思っていたのだけど、もらった直後から引っ越しの準備やら手続きやらでやたら忙しくなっちゃって、そのうちに移動の荷物の中に紛れ、ここブラジルに来てからもほぼ毎日映画観てたにもかかわらず、ランダムに上から観ていったらようやくこの作品にたどり着いたのが本日だった、というわけなのです。 遅いわ!と地球の反対側からツッコミが聞こえてきそうですが。 KI氏よ、今更ながらですがこれ、とっても良かったです。Muchas gracias!! これはほんま、スペインにも行きたくなりますね。
2013年10月6日
生きる
そういえば先日、船便で送ってた荷物が無事届いたぞ。 ダンボール八箱。一つも欠けることなく。無事、無税、無開封。 中には新刊とか贈り物とかも入ってたので、関税がっぽり取られたらどうしようとビビってたのだけど、 杞憂に終わったよ。やるじゃないのブラジル。 7月に送って、この地球の反対側までちょうど2ヵ月。 一箱あたり25kg~30kgで、送料は確か1万2000円前後だったので、八箱でちょうど10万円くらい。 これなら全然許容範囲だ。大いに使える。 モノは揃った。 ネットが不安定で、家から徒歩圏内で外食できる店がシュハスカリア一軒しかない、という微妙な難点を除けば、これでもう至極快適な生活が送れるぞ。わーい。 で、本日の映画は、黒澤明不朽の名作『生きる』だ! 黒澤映画にドハマリしていた高校時代以来、約15年ぶりくらいだろうか。 感想。志村喬がすごい。 そしてヒロインの小田切みきさんがとても良い。特別美人だとは思わないけど、オジサンの心をくすぐるにはまさにハマリ役だ。 あと、ハッピーバースデーのシーンやブランコのシーンなど、名場面は数あれど、 今回私が印象に残ったのは、小説家が飲み屋で主人公の勘治にうだうだと説法垂れるシーンと、冒頭の住民が役所中をたらい回しにされるシーンだ。 いくら役所でもあそこまでたらい回しにされんだろ、と思わず笑っちゃうが、 院生時代、某国で調査許可を得るのにいろんな官庁たらい回しにされたり、 サラリーマンとして曲がりなりにも7年間過ごしていろんな組織を見ることができて、 それなりにリアリティをもって感じられたよ。これも経験よのう。 とはいえ、仮にも人が不慮の事故で死んじゃった公園で、最後子供たちが楽しそうに遊んでるってのも、考えてみればかなりブラックだよね(笑) そういえば。 院生時代の某国、というのは隠す意味は何もなくてインドネシアのことなんだけど(笑) こんなドキュメンタリーが公開されてるそうな。 『The Act of Killing』 https://www.youtube.com/watch?v=SD5oMxbMcHM&feature=emb_logo 1965年にインドネシアで起こった共産主義者への大弾圧。 実際に大量虐殺を行い、現在も地元で英雄として崇められているという男たちが、当時の場面を再現するという何とも戦慄的な映画だ。各所のレビューで絶賛されてる。 かつてインドネシアの現代史をお勉強してたとき、 この年の9月30日事件からスプルスマルに至るスカルノからスハルトへの権力交代劇の内実が、どの文献読んでも要領を得なくて、で実際何だったの、って疑問はずっと残ってた。 2008年にスハルトが亡くなったときたまたま出張でインドネシアいたんだけど、 あんだけ胡散臭いことしときながら、一般の人たちからの人気は凄まじかったしな。ますますよく分かんない。 これは是非とも観なあきまへん。 日本では山形の映画祭で上映されるそうな。公開はされんだろうか。 ここブラジルではどうだろう。サンパウロまで行けば上映してんのかな。 やっぱ、インドネシアはネタの宝庫ね。 インドネシアとブラジルというチョイスは、我ながらナイスであったと思う。
2013年9月24日
夕凪の街 桜の国
ネットが不安定なんであんまキャッチアップしてなかったんだけど、 『はだしのゲン』の図書館での自由閲覧をめぐり、いろいろと議論があったようですね。 んで結局、松江市教委は制限を撤回したとか。 私は中高の6年間を広島で過ごした。 そこで初めて原爆ドームや平和記念資料館を訪れ、当然の如く図書館に置いてあった『はだしのゲン』も読んで、そりゃもう衝撃受けましたよ。 私自身はあのときこの作品を読んで良かったと今でも思ってるが、 同時に、多くの識者が指摘するように、ちょっと偏った漫画だなとも思ったよ。 そのカラクリまでは当時知る由もないけど。 で、こんなニュースになるくらいだから、当の作品は例年の3倍バカ売れしてるという。 なるほど実に上手いなあ。この手法は、使える(笑) ってまあそんなことはどうでもよくて、広島と原爆を描いた作品といえば何といってもこれでしょ。 『夕凪の街 桜の国』 そして『この世界の片隅に』 絶対読むべき。こうの史代さん嫉妬するくらいスゴすぎだ。
2013年9月23日
Love Letter
こちらに来て、毎日映画を観ている。 本に比べて容量嵩張らないんで、これまでコツコツ溜めたDVDを大量に持ってきたのだ。 一つは暇つぶしとして、もう一つは、我が次回作の構想練るために(笑) こっち来てテレビ観なくなったし、それなりに忙しい日々ではあるものの、一日2時間くらいならまあ捻りだせる。 ありがたいことよ。この一事だけで、来た甲斐あったかもな。 昨日観た『Love Letter』が、んもう抜群に良かった。 かつて『リリイ・シュシュのすべて』にも衝撃受けたけど、やっぱこの人すごいな。 ミポリンも最高だ。 十数年前にも一度レンタルで観たんだけど、当時はそこまでインパクト受けなかったと思う。 んなアホな、というツッコミどころありつつも、終わった後じわーーーんって余韻がずっと続いている。 そういえば去年は去年で『天然コケッコー』が最高、と吠えてた記憶あるしな。 やはりこういう十代を映した美しくノスタルジックな映像は、人をして無条件に感動せしめるようプログラミングされているのであろうか。こちらも当時を懐かしめるくらい歳をくったということなのだろうか。 帰国してもテレビは買うまい。 それより毎日PCで映画観てるほうが、はるかに人生おトクな気がしてきたぞ。
2013年9月11日
The Remains of the Day on the Road
長いんだか短いんだか。 思えば年明けから面接で篩にかけられ、その後引き継ぎに研修に引っ越しに手続きに荷造りにご挨拶に移動にとバタバタしっぱなしだった。 この一ヵ月、ようやくもろもろ生活基盤が整って、いろんなことが落ち着きつつある。 3月の引っ越しのとき、荷物をちょっとでも減らそうと1000冊くらい自炊した。 裁断するのが忍びない本はそのままにして、一部を船便でブラジルに送ってる。 でもいつ届くか分からないし、もしかしたら届かないかもしれない。 送るときダンボールに入れそびれちゃったからなのか、移動の飛行機で読もうと思ったからなのか、今となっては記憶が曖昧だけど、手荷物の中にあった数少ない二冊の小説。 『日の名残り』The Remains of the Day, by Kazuo Ishiguro 『オン・ザ・ロード』On the Road, by Jack Kerouac かたやカズオ・イシグロによるブッカー賞受賞作で、かたやジャック・ケルアックによるビート・ジェネレーションの代表的作品だ。何の脈絡もないんだけど、意外にもこの二つの小説にはいくつかの共通点がある。 一つは前世紀半ば、古き良き時代のイギリスとアメリカを舞台にしている点。そして、車でそれぞれの国を移動することが作品のモチーフとなっている点だ。 作品のテイストは両極端っていってもいいくらい違うのだけど、幼少より移動続きでずっとオン・ザ・ロード(路上・途上)にあって、ついには地球の反対側の片田舎にまで来て居着いてしまった自分にとって、この二冊の小説は驚くほど深く心に沁みたのであるよ。うち一冊は旧訳で既読だったにもかかわらず。うう。何なんでしょうね。 この二冊が手荷物に入ってたのはほんとたまたまだと思うんだが、我が心象風景を無意識に先取りしていたのであろうか。不思議じゃ。 そして二年間、この地で新たな日常がまた始まるのです。
2013年8月27日
ポルトヴェーリョこんなところ(1)
ポルトヴェーリョに関するサイトって、ポルトガル語や英語はともかく、日本語ではほんと数えるくらいしかないので、適宜写真でもアップしていこうかね。 基本Facebookからの使い回しだけど。 『地球の歩き方』よ、せめて1ページくらいスペース割いてくれてもいいでしょ(笑) 一応ロンドニア州の州都なんだけどなあ。 ま、仕事ならともかく、観光でここに来る人はほぼいないだろうからそれも致し方なしか。 (この街について日本語で書かれたほぼ唯一のトリヴィアといえば、かのカルロス・ゴーンの出生地である、ということくらいでしょうか。) でもまだ未開拓な分、私の写真と映像と話のタネには事欠かないのであるよ。 考えようによっちゃありがたいやね。 さっそく面白いテーマもいくつか見つけたよ。帰国までには作品にしよう。 …ていうか、この不安定かつ激遅なネット環境はどうにかならんものか。 途中で消えちゃったり止まっちゃったり。こんだけの写真アップするのにどんだけ時間かかってんのよ。 日本で恋しいのはラーメンとネット環境。さしあたり。
2013年8月8日
ポルトヴェーリョに着いて語るときに僕の語ること
O que eu falo quando eu falo sobre chegar em PVH O meu nome em japonês é Kenta Kusuda. Chamo-me Ken ou Diego, por associação com Diego Maradona que é o jogador de futebol a quem eu admiro muito. Eu sou de Kobe, que fica na parte oeste do Japão, mas mudei de casa muitas vezes: para Hiroshima, Tóquio, Quioto, Singapura e Indonésia. Além disso, visitei vários países para trabalhar e viajar. Eu estou muito ansioso pelo novo desafio no Brasil. Em Porto Velho, que é onde vou ficar, eu quero fazer quatro coisas. Primeira. Como um professor de japonês, eu quero ensinar para vocês sobre a língua japonesa e o Japão atual. Segunda. Assim como vocês têm interesse pelo Japão, eu também tenho interesse pela história e cultura do Brasil. Eu queria aprender coisas sobre o Brasil e aprofundar os conhecimentos com vocês. Terceira. Um dos meus hobbies é filmes. Eu quero fazer um filme durante esses dois anos. Talvez seja um documentário. Quarta. Felizmente, dizem que Porto Velho é muito quente. Eu vou jogar futebol todos os dias com vocês e, desta vez sim, vou conseguir fazer dieta. Aqui no Brasil, eu estou convencido de que vou conseguir alcançar os quatro objetivos. Muito obrigado.
2013年7月22日