前々作『野の医者は笑う』は前職T財団の助成を得て実施した研究の成果であって、オマケで我が元同僚たちのことも活写されていたのだけど、今作は当時の著者の本業をめぐる日常の物語である(でも1ヵ所だけ重要なポイントで財団の出来事とも交差する)。
仮想の登場人物と饒舌なレトリックが織り交ぜられているが、今作もめちゃ示唆に富む内容。
デイケアはコミュニティだ。しかも、究極のコミュニティだ。というのも、それは「いる」ために「いる」ことを目指すコミュニティであり、コミュニティであるためにコミュニティであろうとするコミュニティだからだ。(p.220)
絵描きの価値を、ゴールを決めた数で判断してはならない。ミダス王は黄金が欲しくて娘に触れてはいけない。同じように、「ただ、いる、だけ」の市場価値を求めてはいけない。(p.322)
ぐるぐると回っているときには、価値を持っていた「ただ、いる、だけ」は切れ切れになると、決定的に無価値なものになってしまう。それらは文脈を失うと、グロテスクなまでに無意味なものに見えてしまう。こうして居場所は失われる。だって、無意味に見えるものこそが、生きづらい僕らの隠れ家として機能していたからだ。そこに自由があったからだ。(p.329)
ケアする人がケアすることを続けるために、ニヒリズムに抗して「ただ、いる、だけ」を守るために、それは語られ続けないといけない。そうやって語られた言葉が、ケアを擁護する。それは彼らの居場所を支えるし、まわりまわって僕らの居場所を守る。(p.338)
どこも同じ、「会計の声」とのたたかい(笑)
にしてもこの医学書院「ケアをひらく」シリーズは名作揃いだなあ。編集者の本気を感じる。
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