ポルトアレグレより
昨日からブラジル南部のポルトアレグレという街にいる。おお涼し。
年中暑いポルトヴェーリョとはえらい違いだ。ブラジルは広い。
開催国でW杯を迎えるのは、2002年の日韓大会に続いて二度目だ。
でも12年前は、サッカーは見るより自分でプレーするほうがよほどの悦楽を感じてたので、わざわざスタジアムに行こうとは思わなかったな。
その意味では、W杯を心置きなく現地で満喫するというのは、今回が初めてだとも言える。
そんな今大会も、あと3位決定戦と決勝を残すのみとなった。
先月ベスト16が出揃った時点で、私は決勝戦をドイツvsオランダもしくはドイツvsアルゼンチンと予測した。
結果は周知のとおりドイツvsアルゼンチンなのだが、オランダvsアルゼンチンの準決勝は延長でも決着つかず、結局PK戦の末アルゼンチンの勝利となった。
PKなんてもちろん多少の駆け引きはあるにせよ(準々決勝オランダvsコスタリカ、PK直前のファンハール采配には驚きましたね)、基本は運である。
したがって、PK戦に突入した時点であとは運次第、どちらも等しく勝利の可能性があると考えてよい。
とすれば、ドイツvsオランダもしくはドイツvsアルゼンチンと、両方の可能性を指摘した私は、どちらか一方のみを挙げていた場合よりもはるかに正確にこの状況を予測していたとも言えるわけなのである!!笑
さて決勝である。
この舞台でドイツとアルゼンチンが激突するのは、1986年メキシコ、90年イタリアに続いて三度目だ。(※当時はドイツではなく西ドイツ)
少し過去の歴史を繙いてみよう。
1986年、メキシコ
86年はそう、当欄でもしつこいくらい登場する、アルゼンチンが生んだ史上最高の天才・マラドーナである!
準々決勝イングランド戦で見せた「神の手」「5人抜き」は、86年の、というよりW杯史上に残る説明不要のハイライト。
このシーンがあまりに有名すぎるために他が地味な印象になっちゃってるけど、
続く準決勝ベルギー戦においても、アルゼンチンの全得点を叩き出したのはディエゴだったのだ。
いずれも彼にしかできない素晴らしいゴールだ。
何が言いたいかというと、アルゼンチンが西ドイツとの決勝を迎えたとき、史上最高の天才ディエゴが、さらにそのキャリアのピークにあったということ。その時点でアルゼンチンの優勝は決まっていたといってよい。
試合はアルゼンチンが2点を先取。
勝利を決定づけたかに見えたが、当時の西ドイツの大エース・ルンメニゲ、そしてフェラーがCKから立て続けにゴールを決め、振り出しに戻す。
が結局勝負を決めたのは、西ドイツのDFの乱れを見逃さないマラドーナの決定的なラストパスであった。ブルチャガが冷静に決めて3-2でアルゼンチン勝利。
かくして86年はマラドーナのための大会となった。
1990年、イタリア
続く90年イタリア。
前シーズン、ナポリで好調を維持し2度目のスクデットを獲得していたマラドーナが、本大会不調に沈む。それでもどうにかこうにかアルゼンチンは決勝まで駒を進めた。
試合は、西ドイツのエース・マテウスがマラドーナを封じ、互いの良さを消し合う稀に見る凡戦。
名サイドバック・ブレーメによる右足のPKが唯一の得点となり、西ドイツは4年前の雪辱を果たす。
つまんないね。
でも勝負に徹したベッケンバウアーは、選手としても監督としてもW杯を獲得した最初の人となった。
2014年、ブラジル
そして今回。
ブラジルはこちらがドン引きするほどのアルゼンチン嫌い。
決勝はアルゼンチンにとってはアウェーとなるか。それとも隣国ゆえにアルゼンチンから大量のサポーターが駆け付けてホーム状態を現出させるのか。
いや、それ以前にブラジル人としたら、アルゼンチンを応援することはありえないにせよ、かといって準決勝で愛するセレソン(ブラジル代表)を1-7という歴史的屈辱に陥れたドイツを素直に応援する気にもなれないだろうなあ。
なんか、いろんな状況が混沌としてて、異様な雰囲気での試合になりそうな気がする。
試合自体はすでに予測に掲げているとおり、そして他の大方の予想もそうであるとおり、ドイツの優位は揺るがないだろう。
しかし何が起こるか分からないのがフットボールだ。
実際その瞬間を、今大会だけでも我々は幾度も目にしてきたではないか。
逆に言うと、そんな番狂わせが起こるとしたら、クラブではすでに比類なき栄光を手にしているメッシが、いよいよ代表でもその存在を世界に示すことになる。
まあ、もし本当にそうなったとしても、彼の凄さは充分に認めつつも、我がマラドーナびいきは永遠に変わんないわけなんだけど。(結局いつもそこ・笑)
ステファノ讃
最後に。
今大会の期間中にアルフレッド・ディ・ステファノがこの世を去った。
UEFAチャンピオンズカップ5連覇、バロンドールの中のバロンドール(歴代最優秀選手)…。
私が彼のことを知ったのは90年代初頭、エリック・バッティという私が愛読していた英国人記者のコラムによってだ。
手に入る映像は白黒で、断片的で、いずれも彼のプレーを存分に堪能できるほどには残されていない。
それでも彼は私の記憶の中に、ディエゴと並ぶ偉大なるプレーヤーとして刻印されている。
フットボールの歴史を創り上げた先人に心から哀悼の意を表するのである。
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